2009年10月18日日曜日

10/17〜18 オリゴ党第27回公演「西には果てがないから」

 オリゴ党さんの第27回公演「西には果てがないから」を鑑賞させていただきました。1993年にカラビンカで旗揚げされ、應典院とは2001年の第15回公演『グレガリア』という作品で初めてご縁をいただきました。その後、2008年の第25回公演『カーゴ・カルト』、そして、この2月28日・3月1日の第26回公演『主人公は死んでる』に続いてのご利用です。聞いた話ですが、こうして連続してご利用いただいているのも、應典院がバリアフリー仕様となっているため、とのことです。実際、今回のお芝居にも出演されていましたが、オリゴ党には、車いすをお使いの劇団員(役者)さんがいらっしゃるためです。
 18年の歴史のあるオリゴ党さんが今回モチーフにされたのは西遊記でした。公演後、作・演出の岩橋さんに「仏教寺院での公演なので、西遊記だったのでしょうか?」と尋ねてみたところ、特にそういうわけではなかったようです。後付けで、お寺で、天竺に向かう話、となったとのこと。確かに、話の内容も、西遊記を直接展開しているというよりは、上述のとおり、日々の日常の生きづらさを、虚構の世界の人物像をオーバーラップさせることによって浮き彫りにするために、西遊記をモチーフにした、と捉えてよいのだと感じています。事実、本編の中でも、「別に西遊記でなくても、桃太郎でも」など、旅に出る物語、また冒険にまつわるエピソードなら何でもよい、という台詞が出てきたとおりに、それぞれに役割があり、そして目的地へと向かうものであれば、本作が取り扱った「生きる」ことの意味をいかに見出すかというテーマに接近できたでしょう。
 コミュニケーションということばが意思疎通というように理解され、物事をわかりやすく伝達することが評価され、いかに人と差し障りなく関わることがよしとされる、そんな時代です。老いること、病に伏せること、死ぬこと、こうしたことが苦しみであることは間違いありません。しかし、2008年6月の秋葉原事件が、やや遠い記憶になりつつあるようにも思うのですが、改めて生きることそのものが苦しみである、それを実感させられる時代が現代ではないでしょうか。例えば、Amazonで和書を検索してみると、この1〜2年のあいだに、「生きづらさ」ということばを掲げた本が、相次いで出版されています。
 本当の自分が、ここではないどこかに行けば見つかる、そんな風に、今「自分探しの旅」に出る人々も多いと言います。また、本作の「オガワ」研究員が追究したように、出来もしないかもしれないが、「新たなコミュニケーションツール」を求めて自らの世界にこもる人も多いように思います。先に掲げた「生きる苦しみ」は、いわゆる「四苦八苦」のうちの「四苦」の一つなのですが、これに愛別離苦(あいべつりく:愛する人と離れることの苦)、怨憎会苦(おんぞうえく:怨み憎んでいる人に出会うことの苦)、求不得苦(ぐふとくく;求めるものが得られないことの苦)、五蘊盛苦(ごうんじょうく:色々な物質、自らが感受するもの、想起すること、意思を実行すること、世界を認識すること、それら5つにあらわされるような事柄が盛んに湧き上がることの苦)が加わると八苦となります。西遊記をモチーフにしたのは應典院だからではなく、「また次回公演などで(お寺でするということを)意識してみましょうか」と岩橋さんは仰っていましたが、個人的には実に仏教的な観点からも、感じ入るお芝居であったことを記させていただきました。

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