2007年2月18日日曜日

48-120↑

 寺子屋トーク第48回「微笑みで開く [地域の看取り] 」が終わりました。地理的にも、また分野的にも、実に多岐にわたる方々にご参加いただき、本堂ホールは120名を越える人々であふれかえりました。なんと言っても、第一部のゲストでお招きした柴田久美子さん(特定非営利活動法人なごみの里代表)のお話に、ほぼ全ての方が感銘を受けられたと感じています。続く、第二部も、医師と僧侶によって、地域で看取ると言うこと、また在宅での医療を展開するということ、転じて、死に向き合う人々が携える倫理観(議論のなかでは「スピリチュアリティ」や「霊性」といったことばで扱われた内容)について、ご参加いただいた方々からの質問やコメントとあわせて、深める場となりました。

 コーディネーターを務めた者として、いくつか反省点もあります。例えば、パネリストの皆さんがそれぞれに自由に語り合う時間(座談会のようなもの)がなかったこと、コーディネーターによる意見整理の際に書いた字が見えにくかったこと、何より、質問の内容について解釈を間違えてしまい結果として正反対の文脈で議論に結びつけてしまったこと、など、挙げていけば切りがありません。また、交流会の際にも「柴田さんのお人柄を第二部でひもといていくことが、地域の看取りを微笑みで開いていくことの意味を見出すことになったのではないか」といったご指摘や、「専門家による専門性がいかに発揮できる環境や関係をつくっていくか、といった実践的な課題を掘り下げていかなくてよかったのか」といったご意見をいただきました。それでも、應典院スタッフをはじめ、多くのアシスタント・スタッフ(築港ARCのスタッフをはじめ、大蓮寺・應典院の小僧インターン、また名古屋から来年度から大谷専修学校に入る「ボンズ・クラブ」の世話人の方、さらには、書籍販売をお手伝いいただいた「なごみの里」の支援者の方、など)の的確な動きで、充実した議論の場が出来上がったことは確かですので、ここにご参加いただいた皆様、また開催にあたってご後援、ご協力いただいた皆様へのお礼も重ねて、記させていただきます。

(應典院主幹・應典院寺町倶楽部事務局長 山口 洋典)




<なお、質問の捉え間違いは以下の部分ですので、訂正してお詫びします>



質問:「超人」による看取りではなく「今を生き人」による看取りが大切ではないか?

(山口の解釈):「超人」ではなく「今を生きる人」は、いわゆる一般の方、つまり非専門家と解釈しました

(質問者の意図):現状の社会制度のなかで、日常的に看取りの環境にいる方々、つまり専門家による看取りという意味でした。

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