2009年10月22日木曜日

ペシャワール会「伊藤和也さん」追悼写真展開催中

 10月20日より25日まで、應典院の2階「気づきの広場」では、ペシャワール会の皆さんによる「伊藤和也さん」追悼写真展が開催されています。この写真展は、2008年8月、アフガニスタンの復興支援のために農業指導の活動に取り組む中、31歳の若さでこの世を去った伊藤さんの遺作展です。ご承知の方も多いと思うのですが、アフガニスタンなど、イスラムの国では、外国人が女性やこどもを撮影することが問題となることがあります。しかし、石風社から刊行されている「アフガニスタンの大地とともに―伊藤和也遺稿・追悼文集」の写真からもお感じいただけるように、現地の方々と伊藤さんとのあいだで親密な関係が築かれていたかは明らかです。
 今回のご縁は、應典院の2階にある「カウンセリングルーム」で取り組まれている、箱庭療法の勉強会に参加されている方からの打診がきっかけとなりました。常々、多くの呼びかけに応えていくことこそ、應典院の役割だと考えていることもあって、断る理由はまったくありませんでした。しかし、それ以上に、ぜひ應典院で、と考えた個人的な理由として、伊藤さんが静岡県の掛川市出身だということがあります。というのも、私(山口)が、同じく静岡県、しかも同じ西部地区の磐田市出身であったためです。



 昨日はご両親も静岡から来られました。2階のロビーに据えられたベンチに、ご夫婦で静かにたたずんでいらっしゃったところに、ご挨拶をさせていただきました。静かな物腰で、そして穏やかにお話をされる口調に、ふるさとの感覚を思い起こしました。そして、Twitterにも記させていただいたとおり、應典院の本寺にあたる大蓮寺の墓地にある、中田厚仁さんのお墓をお参りされてからお帰りになられました。



 そのお話を住職にさせていただいたところ、本日の朝、恒例となっている劇団の仕込み初日に行っております講話のなかで、伊藤さんについて、また写真展について触れられました。以下、私(山口)の視点でまとめさせていただきました。もしよろしければ、伊藤さんの死を悼み、またそれぞれの生を見つめ直すきっかけとなれば、と思っています。写真展は25日までですので、どうぞ、お時間をつくっていただいて、應典院までお越しいただけることを願っております。

*なお、途中の引用等は、文字表現が不確実な部分がありますので、加筆修正が入る可能性があることをご承知置きください。

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 あまりこのお寺では布教をしないと言っているですが、今日は仏さんのお話をしますね。特に、仏教という教えの中では、生きるということと死ぬということは分けて考えていない、ということについてです。恐らく私たちはどこかで「死んだら終わり」であったり「死んだ人はかわいそう」と思うことがありませんか。だとすれば、それは生のおごりです。
 死者は何も声を出しません。ですので、死というものの前にすると、生は謙虚さを失ってしまいます。 また、死に対するイメージがどんどん失われていくと、生はどんどん萎えていきます。生の権力の中に私たちも支配されてしまうのです。
 仏教では、生と死は、一つの大きな輪の中に入っていると捉えます。その輪の中にたまたま時間を区切る線が真ん中のあたりに入っている、と考えます。そして、こちらが生、こちらが死という具合になっているところを、輪の中の領域が円運動を起こして回っていきます。
 生きている時間と死んでいる時間は、一つの共通した時間軸の中にあるのですが、私たちはそのことに気づきにくく、そして気づいても忘れがちです。例えば、ものを買ってくれるのは生きている人だけですし、がんばれがんばれと言ってがんばってくれるのも生きている人です。一方で死んだ人にがんばれがんばれと言っても何も応えてくれません。だから、私たちは死んでしまうと語りかけることをやめてしまいます。ところが、昔の人は死者にたくさん語っていました。死者にいろんな思いを届けていました。けれども、だんだんだんだんそれが萎えてしまい、忘れ去られてしまったのです。結局、現実的に、私たちは生きている時間の中だけでしか生きていない、と考えるのです。
 ただ、時々は死は私たちの身近にやってきます。まるで「ほい」と肩を叩いてくるような感じ、びっくりすることがあります。例えば、愛する人が亡くなったときです。皆さんのお父さんやお母さん、こどもたち、例えばそういう方が亡くなったとすると、はじめのあいだはものすごい悲嘆にくれるのですが、そのうちに、なんで僕は生きているんだろう、というような問いがじわっとこみ上げてきます。
 私もそういう経験をしたことがあります。大病になっても、同じような問いがこみ上げてくるからです。私はいっぺん癌を患いました。一ヶ月程病院にいましたけれども、そのときには「自分は死ぬのかもしれない」と一瞬考えました。幸いにしてたいした癌ではなかったんですが、そうして死というものをつきつけられたときに、自分が何で生きているのかを考えさせられます。
 なぜ自分が生きているかを一番強烈に考えさせられるのは、自分の知っている人、つまり自分という固有性を越えた人の死に向き合うときです。私にとっては阪神・淡路大震災がそのときでした。ボランティアとして現地に駆けつけてみると、そこには知らない人の死がありました。「あんなに大勢死んでいるのに、なんで僕は生きているのか」と考えるきっかけを知らない人から与えられたとしたら、その人は絶対的な他者ではなくなっています。ここで極端な比較例を挙げますが、では、イランやイラクでの空爆で亡くなった人に対してどんな思いを抱くでしょうか。正直「ああ、大変なんだね」で終わることもあるのではないでしょうか。人間とは不思議なものです。
 去年、秋葉原では一人の男性によって何人かの若者が殺されました。その中で、将来音楽家を目指していた、大学生のことが心を痛めました。芸術やアートをやりたいという人が殺されたということに対し、表現を志す皆さんは何か痛みを感じませんか。彼女は携帯電話のチラシ配りのアルバイトをしていたとき、目の前でトラックにはねられたお爺さんを助けに飛び出したところをナイフで刺されたそうです。なんでそれが僕ではなかったのか、私ではなかったのか。そういう想像力を抱いて、時々思い出した方がよいのではないかと思います。
 ちょうど今、應典院の2階のロビーでは、去年の8月にアフガニスタンで殺害された伊藤和也さんの写真展を行っています。彼はペシャワール会というNGOに入って、アフガニスタンに行って、こどもたちと馴染みになりました。そして写真をたくさん残しました。しかし大変不幸なことに、ゲリラの人質になって、何日も引き回されて、最後、捜索隊が囲んだときに殺されてしまいました。当時31歳の彼が現地で撮った写真が展示されています。ぜひ見ていってください。明日を生きるために、写真を見て考えてください。亡くなった人が私たちに何を伝えようとしているのかを。ただし、そのことは、絶えず耳をそばだてていかないと聞こえてはこないでしょう。
 應典院の本堂にある、この阿弥陀さんという仏さんは、生と死ということがつながりあっていることを象徴する仏さんです。浄土宗ではよく南無阿弥陀仏と唱えます。南無というのは「おーい」と呼んでいることです。ですので、南無阿弥陀仏とは「阿弥陀仏、お願いします」という呼びかけを意味します。これを有名な絵本作家の葉祥明(よう・しょうめい)さんという方が「Call My Name」という絵本にされました。この中で、南無阿弥陀仏の一節をごく簡単に紹介している箇所があるので、少し紹介させていただきます。

「人はこの世を去るときになって、ようやく生きるということの意味を真剣に考えます。しかし、人は生きているあいだに、たびたび死を思う必要があります。そうすることで真に生きることができるようになるのです。悲しみの淵から抜け出せないときには、私を思い、私を呼んでください。あなたが苦しんでいるとき、あなたが悩んでいるとき、いつもあなたのそばに私がいることを覚えておいてください。苦しいときは私を思ってください。肉体の苦しみ、こころの苦しみ、いかなる苦しみであれ、苦しみの中にあるときには、いつでも私のことを思ってください。苦しいときは私の名を呼んでください。私は決してあなたを一人で放っておきません。」

 ここで言っている私というのは阿弥陀様です。先ほどは呼びかけという表現を使いましたが、阿弥陀様の立場からすれば、南無阿弥陀仏とは「私の名を呼んで」を意味するのだ、ということです。私の名を呼んだとき、私はあなたをひとりぼっちにしない、というレスポンスを阿弥陀仏は返してくださっているのです。では阿弥陀仏は何をしてくれるのか、呼びかけることでどんなメリットがあるのか、一体どんなサービスをしてくれるのかが気になるかもしれません。しかし、それは何もないのです。何もないんだけど呼びなさい、呼べばあなたは必ずあなたは救われるという、この目には見えない約束こそ、信仰なのです。
 今日皆さんに伝えたいのは、お寺で、ご本尊の前で演じる劇は、果たして何なのかということです。彩られた空間、おしゃれな空間へと仕込んで、ある世界をつくるということはどういうことなのか、ということを考えて欲しいということです。人が心をうたれるにしても、なぜ皆さんは演劇をするのか、そしてなぜお寺で演劇をするのか。と言うのも、あなたがたのお芝居はここでやろうが、どこでやろうが変わらないかもしれません。しかし、見てる人の意識は変わっていると思った方がいいのではないでしょうか。
 恐らく、お墓の風景を見ながら劇場に入ってきて、次にお芝居を連続して見る、これらは全く別物だとは思えません。何らかのイメージがつながっている、そんな風に考えています。先ほどからの話に重ねてみれば、墓場の風景を見ながらお寺の本堂での演劇を鑑賞することを意識するとき、その人は芝居を見るという経験から自分が生きている意味を見つめることへと突き戻されるのではないか、と思います。決してそれは自分がいかに生きて死ぬかという、自分が亡くなるという死の瞬間「death」への思いをかき立てるものではないはずです。これまでの自分を再生する、あるいは今を生きるチャンネルを切り替える機会をもたらしてくれるのではないかと考えています。
 先ほど、救われることが約束だと言いました。ただ、人間は必ず死ぬ以上、死なないという約束はできません。しかし、死ぬということの不安や恐怖から救われるということは約束できます。それをもう少し置き換えれば、生きることがしんどいという人もたくさんいるし、すごく悲しい思いに浸っている人も多くいます。そうした人たちがお寺で演劇を見に来たときには、お芝居を見て、もう一度元気をもらい、生まれ変わることもあるのではないかと思っています。こんな風に言うと誤解があるかもしれませんが、お寺で各種の表現がなされ、そこに多くの人が足を運ぶとき、その場から生み出されるのは生のイメージや死のイメージではなく、生と死をつなぎとめるようなイメージではないかと考えています。
 死を思うということは、決して残念なことでも悲しいことでもありません。死を思うことによって、何で今自分が生きているのか、何で私はここにいるのだろうか、これらのことを、もういっぺん考えるきっかけを得ることができます。こうして死を思うということが訓練、鍛錬されていくと、みんな強くなれます。くじけません。がんばれます。
 芸術とか演劇を長くやってきた人と話をするときに思うことがあります。それは結局、アートをやっている人たちは、表現活動を通じてそういう訓練を自ら課しておられるのではないか、ということです。もちろん、一生演劇をやり続ける人もいれば、いずれ演劇から離れて演劇ではない人生を選ぶ人もいるかもしれません。しかし、劇団で活動を積み上げていくと、それぞれの心の中に芯として残る何かがあるでしょう。それはくじけない、がんばれる、そういう力をみんなで出し合っているからではないかと思います。学校の先生、教科書、そういうものから得られる学びとは異なるものから、魂をつかもうとしている、私は表現者たちの姿勢をそう捉えています。
 ぜひ、皆さんには伊藤くんの写真を見て、お墓を見て、たまには住職の話を聞いて、信仰を育てていただければと思います。そして、一緒に信仰を育てていきませんか。

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