2009年10月25日日曜日

ミジンコターボ「お母さんはゾーマ」を観劇

 ミジンコターボの『お母さんがゾーマ!!』、千秋楽を鑑賞させていただきました。既に記させていただいたとおり、今回はペシャワール会の伊藤和也さんの追悼写真展開催中の公演ということもあり、仕込み日に行われる恒例の秋田光彦住職による講話が、いつもより長めでした。実際、劇団員の皆さんの多くに写真展の鑑賞もいただきました。一方で、ペシャワール会の皆さんにも、公演の円滑な運営への協力をいただきましたこと、謹んでお礼申し上げます。
 さて、今回の公演はタイトルを見て、あるいはフライヤーを見て、「わかる人はわかる」のですが、ドラゴンクエストというゲームをモチーフにした作品でした。妄想癖という表現を使ってしまっては元も子もないのですが、いわゆる「教育ママ」を大魔王(ドラクエ3の最終ボス「ゾーマ」)に見立て、魔王と王様の諍いを母と父の子育て方針の対立として取り扱ったというものです。そして、そのはざまに立たされるこどもが、自らが成長していく様を、ちょうど「ドラクエ」の勇者に重ねた、という具合でした。偶然にも、前週に公演をいただいたオリゴ党の皆さんの作品もまた冒険ものだった、と思い起こした次第です。
 ゲームの世界観を見事なくらい現実世界の葛藤にシンクロさせた脚本も印象的でしたが、その名のとおりに物語に抑揚、緩急、そうした変化を導いた役者さんたちの表現力に感服しました。とりわけ、弘中さんのダンスは、昨年のspace×dramaの特別招致公演「スーパーソニックジェットガール」での圧倒的なパフォーマンスを越えるもので、それゆえに私だけでなく鑑賞された方から自ずと拍手が生まれたのだと確信しています。また、いつものように力の入った宣伝美術もさることながら、入り口での幟、充実した物販、そしてエスプリのきいた前説、さらには映像を効果的に用いた「つかみ」と、劇団として随所に散りばめられた創意工夫に圧巻でした。さらに、これは個人的な感想ですが、山口いずみさん演じるお母さん&ゾーマの「セリフの二重性」に、劇創ト社の「ラジオスターの悲劇 3rdセッション」での「God Only Knows」のタロ役を思い起こしました(だからと言って、人間以外の役がすごい、という訳ではなく、堂々たるボスキャラのセリフと母の愛とを絶妙に演じきったという意味です…)。
 惜しむらくは、役者の皆さんの声が少し聞き取りにくかったということです。座った位置によるのかもしれませんが、片岡百萬両さん演じるチャゲが、ご本人曰く「ドラクエではプレーヤーが操る勇者は<はい>と<いいえ>の選択をするしかなく、セリフがない」という理由で全く発声をしないという設定であったので、ぜひ、南雲飛鳥さん演じるアスカの声は、全編にわたってクリアに届いていて欲しかった、と思いました。ともあれ、キャストと役名と、そしてセリフ(チャゲ&飛鳥『SAY YES』へのオマージュ)、さらには客入れの音楽(『PRIDE』)など、メタなレベルで意味を重ねてくる意図も含め、充分に楽しませていただきました。ただし、過去の公演を拝見すると、私はショートショート(いわゆる番外公演)しか鑑賞させていただいていないことに気づいたので、2009年1月21日~24日のHEPホールでの次回公演「ダメダメサーカス」(の再演)には、必ずお伺いさせていただこうと決意いたしました。

2009年10月22日木曜日

ペシャワール会「伊藤和也さん」追悼写真展開催中

 10月20日より25日まで、應典院の2階「気づきの広場」では、ペシャワール会の皆さんによる「伊藤和也さん」追悼写真展が開催されています。この写真展は、2008年8月、アフガニスタンの復興支援のために農業指導の活動に取り組む中、31歳の若さでこの世を去った伊藤さんの遺作展です。ご承知の方も多いと思うのですが、アフガニスタンなど、イスラムの国では、外国人が女性やこどもを撮影することが問題となることがあります。しかし、石風社から刊行されている「アフガニスタンの大地とともに―伊藤和也遺稿・追悼文集」の写真からもお感じいただけるように、現地の方々と伊藤さんとのあいだで親密な関係が築かれていたかは明らかです。
 今回のご縁は、應典院の2階にある「カウンセリングルーム」で取り組まれている、箱庭療法の勉強会に参加されている方からの打診がきっかけとなりました。常々、多くの呼びかけに応えていくことこそ、應典院の役割だと考えていることもあって、断る理由はまったくありませんでした。しかし、それ以上に、ぜひ應典院で、と考えた個人的な理由として、伊藤さんが静岡県の掛川市出身だということがあります。というのも、私(山口)が、同じく静岡県、しかも同じ西部地区の磐田市出身であったためです。



 昨日はご両親も静岡から来られました。2階のロビーに据えられたベンチに、ご夫婦で静かにたたずんでいらっしゃったところに、ご挨拶をさせていただきました。静かな物腰で、そして穏やかにお話をされる口調に、ふるさとの感覚を思い起こしました。そして、Twitterにも記させていただいたとおり、應典院の本寺にあたる大蓮寺の墓地にある、中田厚仁さんのお墓をお参りされてからお帰りになられました。



 そのお話を住職にさせていただいたところ、本日の朝、恒例となっている劇団の仕込み初日に行っております講話のなかで、伊藤さんについて、また写真展について触れられました。以下、私(山口)の視点でまとめさせていただきました。もしよろしければ、伊藤さんの死を悼み、またそれぞれの生を見つめ直すきっかけとなれば、と思っています。写真展は25日までですので、どうぞ、お時間をつくっていただいて、應典院までお越しいただけることを願っております。

*なお、途中の引用等は、文字表現が不確実な部分がありますので、加筆修正が入る可能性があることをご承知置きください。

-------------

 あまりこのお寺では布教をしないと言っているですが、今日は仏さんのお話をしますね。特に、仏教という教えの中では、生きるということと死ぬということは分けて考えていない、ということについてです。恐らく私たちはどこかで「死んだら終わり」であったり「死んだ人はかわいそう」と思うことがありませんか。だとすれば、それは生のおごりです。
 死者は何も声を出しません。ですので、死というものの前にすると、生は謙虚さを失ってしまいます。 また、死に対するイメージがどんどん失われていくと、生はどんどん萎えていきます。生の権力の中に私たちも支配されてしまうのです。
 仏教では、生と死は、一つの大きな輪の中に入っていると捉えます。その輪の中にたまたま時間を区切る線が真ん中のあたりに入っている、と考えます。そして、こちらが生、こちらが死という具合になっているところを、輪の中の領域が円運動を起こして回っていきます。
 生きている時間と死んでいる時間は、一つの共通した時間軸の中にあるのですが、私たちはそのことに気づきにくく、そして気づいても忘れがちです。例えば、ものを買ってくれるのは生きている人だけですし、がんばれがんばれと言ってがんばってくれるのも生きている人です。一方で死んだ人にがんばれがんばれと言っても何も応えてくれません。だから、私たちは死んでしまうと語りかけることをやめてしまいます。ところが、昔の人は死者にたくさん語っていました。死者にいろんな思いを届けていました。けれども、だんだんだんだんそれが萎えてしまい、忘れ去られてしまったのです。結局、現実的に、私たちは生きている時間の中だけでしか生きていない、と考えるのです。
 ただ、時々は死は私たちの身近にやってきます。まるで「ほい」と肩を叩いてくるような感じ、びっくりすることがあります。例えば、愛する人が亡くなったときです。皆さんのお父さんやお母さん、こどもたち、例えばそういう方が亡くなったとすると、はじめのあいだはものすごい悲嘆にくれるのですが、そのうちに、なんで僕は生きているんだろう、というような問いがじわっとこみ上げてきます。
 私もそういう経験をしたことがあります。大病になっても、同じような問いがこみ上げてくるからです。私はいっぺん癌を患いました。一ヶ月程病院にいましたけれども、そのときには「自分は死ぬのかもしれない」と一瞬考えました。幸いにしてたいした癌ではなかったんですが、そうして死というものをつきつけられたときに、自分が何で生きているのかを考えさせられます。
 なぜ自分が生きているかを一番強烈に考えさせられるのは、自分の知っている人、つまり自分という固有性を越えた人の死に向き合うときです。私にとっては阪神・淡路大震災がそのときでした。ボランティアとして現地に駆けつけてみると、そこには知らない人の死がありました。「あんなに大勢死んでいるのに、なんで僕は生きているのか」と考えるきっかけを知らない人から与えられたとしたら、その人は絶対的な他者ではなくなっています。ここで極端な比較例を挙げますが、では、イランやイラクでの空爆で亡くなった人に対してどんな思いを抱くでしょうか。正直「ああ、大変なんだね」で終わることもあるのではないでしょうか。人間とは不思議なものです。
 去年、秋葉原では一人の男性によって何人かの若者が殺されました。その中で、将来音楽家を目指していた、大学生のことが心を痛めました。芸術やアートをやりたいという人が殺されたということに対し、表現を志す皆さんは何か痛みを感じませんか。彼女は携帯電話のチラシ配りのアルバイトをしていたとき、目の前でトラックにはねられたお爺さんを助けに飛び出したところをナイフで刺されたそうです。なんでそれが僕ではなかったのか、私ではなかったのか。そういう想像力を抱いて、時々思い出した方がよいのではないかと思います。
 ちょうど今、應典院の2階のロビーでは、去年の8月にアフガニスタンで殺害された伊藤和也さんの写真展を行っています。彼はペシャワール会というNGOに入って、アフガニスタンに行って、こどもたちと馴染みになりました。そして写真をたくさん残しました。しかし大変不幸なことに、ゲリラの人質になって、何日も引き回されて、最後、捜索隊が囲んだときに殺されてしまいました。当時31歳の彼が現地で撮った写真が展示されています。ぜひ見ていってください。明日を生きるために、写真を見て考えてください。亡くなった人が私たちに何を伝えようとしているのかを。ただし、そのことは、絶えず耳をそばだてていかないと聞こえてはこないでしょう。
 應典院の本堂にある、この阿弥陀さんという仏さんは、生と死ということがつながりあっていることを象徴する仏さんです。浄土宗ではよく南無阿弥陀仏と唱えます。南無というのは「おーい」と呼んでいることです。ですので、南無阿弥陀仏とは「阿弥陀仏、お願いします」という呼びかけを意味します。これを有名な絵本作家の葉祥明(よう・しょうめい)さんという方が「Call My Name」という絵本にされました。この中で、南無阿弥陀仏の一節をごく簡単に紹介している箇所があるので、少し紹介させていただきます。

「人はこの世を去るときになって、ようやく生きるということの意味を真剣に考えます。しかし、人は生きているあいだに、たびたび死を思う必要があります。そうすることで真に生きることができるようになるのです。悲しみの淵から抜け出せないときには、私を思い、私を呼んでください。あなたが苦しんでいるとき、あなたが悩んでいるとき、いつもあなたのそばに私がいることを覚えておいてください。苦しいときは私を思ってください。肉体の苦しみ、こころの苦しみ、いかなる苦しみであれ、苦しみの中にあるときには、いつでも私のことを思ってください。苦しいときは私の名を呼んでください。私は決してあなたを一人で放っておきません。」

 ここで言っている私というのは阿弥陀様です。先ほどは呼びかけという表現を使いましたが、阿弥陀様の立場からすれば、南無阿弥陀仏とは「私の名を呼んで」を意味するのだ、ということです。私の名を呼んだとき、私はあなたをひとりぼっちにしない、というレスポンスを阿弥陀仏は返してくださっているのです。では阿弥陀仏は何をしてくれるのか、呼びかけることでどんなメリットがあるのか、一体どんなサービスをしてくれるのかが気になるかもしれません。しかし、それは何もないのです。何もないんだけど呼びなさい、呼べばあなたは必ずあなたは救われるという、この目には見えない約束こそ、信仰なのです。
 今日皆さんに伝えたいのは、お寺で、ご本尊の前で演じる劇は、果たして何なのかということです。彩られた空間、おしゃれな空間へと仕込んで、ある世界をつくるということはどういうことなのか、ということを考えて欲しいということです。人が心をうたれるにしても、なぜ皆さんは演劇をするのか、そしてなぜお寺で演劇をするのか。と言うのも、あなたがたのお芝居はここでやろうが、どこでやろうが変わらないかもしれません。しかし、見てる人の意識は変わっていると思った方がいいのではないでしょうか。
 恐らく、お墓の風景を見ながら劇場に入ってきて、次にお芝居を連続して見る、これらは全く別物だとは思えません。何らかのイメージがつながっている、そんな風に考えています。先ほどからの話に重ねてみれば、墓場の風景を見ながらお寺の本堂での演劇を鑑賞することを意識するとき、その人は芝居を見るという経験から自分が生きている意味を見つめることへと突き戻されるのではないか、と思います。決してそれは自分がいかに生きて死ぬかという、自分が亡くなるという死の瞬間「death」への思いをかき立てるものではないはずです。これまでの自分を再生する、あるいは今を生きるチャンネルを切り替える機会をもたらしてくれるのではないかと考えています。
 先ほど、救われることが約束だと言いました。ただ、人間は必ず死ぬ以上、死なないという約束はできません。しかし、死ぬということの不安や恐怖から救われるということは約束できます。それをもう少し置き換えれば、生きることがしんどいという人もたくさんいるし、すごく悲しい思いに浸っている人も多くいます。そうした人たちがお寺で演劇を見に来たときには、お芝居を見て、もう一度元気をもらい、生まれ変わることもあるのではないかと思っています。こんな風に言うと誤解があるかもしれませんが、お寺で各種の表現がなされ、そこに多くの人が足を運ぶとき、その場から生み出されるのは生のイメージや死のイメージではなく、生と死をつなぎとめるようなイメージではないかと考えています。
 死を思うということは、決して残念なことでも悲しいことでもありません。死を思うことによって、何で今自分が生きているのか、何で私はここにいるのだろうか、これらのことを、もういっぺん考えるきっかけを得ることができます。こうして死を思うということが訓練、鍛錬されていくと、みんな強くなれます。くじけません。がんばれます。
 芸術とか演劇を長くやってきた人と話をするときに思うことがあります。それは結局、アートをやっている人たちは、表現活動を通じてそういう訓練を自ら課しておられるのではないか、ということです。もちろん、一生演劇をやり続ける人もいれば、いずれ演劇から離れて演劇ではない人生を選ぶ人もいるかもしれません。しかし、劇団で活動を積み上げていくと、それぞれの心の中に芯として残る何かがあるでしょう。それはくじけない、がんばれる、そういう力をみんなで出し合っているからではないかと思います。学校の先生、教科書、そういうものから得られる学びとは異なるものから、魂をつかもうとしている、私は表現者たちの姿勢をそう捉えています。
 ぜひ、皆さんには伊藤くんの写真を見て、お墓を見て、たまには住職の話を聞いて、信仰を育てていただければと思います。そして、一緒に信仰を育てていきませんか。

2009年10月18日日曜日

10/17〜18 オリゴ党第27回公演「西には果てがないから」

 オリゴ党さんの第27回公演「西には果てがないから」を鑑賞させていただきました。1993年にカラビンカで旗揚げされ、應典院とは2001年の第15回公演『グレガリア』という作品で初めてご縁をいただきました。その後、2008年の第25回公演『カーゴ・カルト』、そして、この2月28日・3月1日の第26回公演『主人公は死んでる』に続いてのご利用です。聞いた話ですが、こうして連続してご利用いただいているのも、應典院がバリアフリー仕様となっているため、とのことです。実際、今回のお芝居にも出演されていましたが、オリゴ党には、車いすをお使いの劇団員(役者)さんがいらっしゃるためです。
 18年の歴史のあるオリゴ党さんが今回モチーフにされたのは西遊記でした。公演後、作・演出の岩橋さんに「仏教寺院での公演なので、西遊記だったのでしょうか?」と尋ねてみたところ、特にそういうわけではなかったようです。後付けで、お寺で、天竺に向かう話、となったとのこと。確かに、話の内容も、西遊記を直接展開しているというよりは、上述のとおり、日々の日常の生きづらさを、虚構の世界の人物像をオーバーラップさせることによって浮き彫りにするために、西遊記をモチーフにした、と捉えてよいのだと感じています。事実、本編の中でも、「別に西遊記でなくても、桃太郎でも」など、旅に出る物語、また冒険にまつわるエピソードなら何でもよい、という台詞が出てきたとおりに、それぞれに役割があり、そして目的地へと向かうものであれば、本作が取り扱った「生きる」ことの意味をいかに見出すかというテーマに接近できたでしょう。
 コミュニケーションということばが意思疎通というように理解され、物事をわかりやすく伝達することが評価され、いかに人と差し障りなく関わることがよしとされる、そんな時代です。老いること、病に伏せること、死ぬこと、こうしたことが苦しみであることは間違いありません。しかし、2008年6月の秋葉原事件が、やや遠い記憶になりつつあるようにも思うのですが、改めて生きることそのものが苦しみである、それを実感させられる時代が現代ではないでしょうか。例えば、Amazonで和書を検索してみると、この1〜2年のあいだに、「生きづらさ」ということばを掲げた本が、相次いで出版されています。
 本当の自分が、ここではないどこかに行けば見つかる、そんな風に、今「自分探しの旅」に出る人々も多いと言います。また、本作の「オガワ」研究員が追究したように、出来もしないかもしれないが、「新たなコミュニケーションツール」を求めて自らの世界にこもる人も多いように思います。先に掲げた「生きる苦しみ」は、いわゆる「四苦八苦」のうちの「四苦」の一つなのですが、これに愛別離苦(あいべつりく:愛する人と離れることの苦)、怨憎会苦(おんぞうえく:怨み憎んでいる人に出会うことの苦)、求不得苦(ぐふとくく;求めるものが得られないことの苦)、五蘊盛苦(ごうんじょうく:色々な物質、自らが感受するもの、想起すること、意思を実行すること、世界を認識すること、それら5つにあらわされるような事柄が盛んに湧き上がることの苦)が加わると八苦となります。西遊記をモチーフにしたのは應典院だからではなく、「また次回公演などで(お寺でするということを)意識してみましょうか」と岩橋さんは仰っていましたが、個人的には実に仏教的な観点からも、感じ入るお芝居であったことを記させていただきました。

2009年10月8日木曜日

釈徹宗先生の仏典講座第二弾、本日開講!


 最早、應典院にご縁のある方にはおなじみとなりました釈徹宗先生。2007年の秋に開講させていただきました仏典講座の第二弾を、本日より開講させていただきました。前回は原始仏典の一つ、ダンマパダを読み解いていきましたが、今回は大乗仏典を読み解いていくという趣向です。名付けて、「大乗仏典を読む」。
 本日は、9月13日に実施いたしました、「寺子屋トーク第56回」にもご参加いただいた方々も多かったようです。末木先生との対談を軽妙に進められたことに、新たなファンも寄せたようにも思われ、当初予定していた應典院の研修室Bには入りきらず、急遽、大蓮寺の大広間で開催させていただくことにいたしました。開講一番、釈先生は、末木先生との対談の感想に触れられ、会場は談笑に包まれました。個人的には、末木先生が「ファイティングポーズ」を取らない姿勢に驚いた、と仰る、釈先生の率直な印象に興味を抱きました。
 今回の仏典講座は3回連続で展開されます。今回は大乗仏典を読み解く上で鍵となる、「空」と「唯識」について取り上げる予定でした。が、空について丁寧に取り上げたために、唯識についての仏典を紐解くことができませんでした。それでも、絶対的なもの、また常なるものはない、ということを、お湯の温度の話などを比喩に用いて、わかりやすく説いていただきました。
 大乗仏教の重要なところは、社会性や関係性を大切にするところ、というのがまとめのことばでした。聞く、読むことをことさら取り上げるのが大乗仏教とのことです。そうした観点も重なって、最後は全員で「回向文(えこうもん)」を読み上げて終わりました。実際、この回向文の日本語訳は、4月25日・26日に「ちべっと寺子屋ふぉーらむ」に来られたニチャンリンポチェ(ニンマ派)も「よい訳だ」と評されているとのことです。

「願わくば此の功徳を以って普く一歳に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」

フォロワー