2010年1月19日火曜日

プログラムはお休み、でも大切な打合せ

 1月19日、今日はコモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」の会期16日間のあいだで、展示以外の催しがない2日のうちの1日目。だからと言って、スタッフは休んでいられません。催しがなくとも、催しのために動く日も必要だからです。そんなわけで、今日は朝から打合せや買い出しなどに時間が充てられました。
 朝には、24日の午後に実施される、大阪アーツアポリアの企画運営によるブックアートワークショップの下見のために、中西美穂さん、ふるさかはるかさん、そしてロセラ・マトモロスさんが来られました。ロセラさんはコスタリカの美術家です。今回のワークショップには「リフレクト・アクション~素材を交換して本をつくろう!~」とあるように、参加者の皆さんどうしが即興で本をつくっていくというものです。今回は使いませんが、應典院の本堂も見学いただいて「とても現代的で、宗教家の話を聞くだけ以上に、生や死のことを考える、素晴らしい場だ」と感嘆のことばをいただきました。
 スペイン語圏のご出身であるロセラさんとは英語で会話をしました。そのとき、「現代的」という意味のことばには「modern」ではなく「contemporary」を使い、しかも、何度もcontemporaryと仰っていたのが印象的でした。恐らく、「モダン」という意味には、いわゆる近代の合理主義という観点も重ねらるため、あえて今の時代に共鳴する問いかけがなされている、という視点を強調しておられたのだと思っています。もちろん、その背景には、ロセラさんが現代美術(contemporary art)の世界で活躍しておられる、ということも影響しているとも感じています。
 その後、次年度の應典院のスタッフ体制について、主幹(山口)&主事(森山)の意見交換に続き、築港ARCのサブディレクター(蛇谷)を交えて、23日・24日の「ミニ★シティ」の進行の打合せを行いました。ちょうど、直前の意見交換にて「段取りの確認をしただけでは、その企画に埋め込まれた意図や、その事業の背景にある思想は共有できない」という話をしたところでしたので、時間の流れだけではなく、それぞれの役割と、その役割をその人が担う理由について、細かく確認してみました。それらを通じて、こどもとおとなが共に場を創造する企画ゆえ、水平的な人間関係を構築したいという趣旨に対して、そうした関係を誰がどう意識、配慮していくべきなのか、といった観点が浮き彫りになりました。果たして、應典院の本堂ホールに、どのようなまちが出現するのか、23日、24日が(スタッフの我々も)楽しみです。

2010年1月18日月曜日

コミュニティのチカラ

 カタカナ語ばかり使うな、と言われることがあります。今日のブログの投稿に対しても、そう言われるかもしれません。しかも「力」でも「ちから」でもなく、「チカラ」などと、わざわざカタカナで書く必要がないことにまで、とご指摘をいただきそうです。ただ、一つお伝えをしておきたいのは、カタカナがかっこいいと思っていて多様しているのではない、ということです。外国起因の概念ゆえに無理矢理日本語に翻訳しない方がよい、あるいは、既存の概念を疑ってみたい、そういうときに、カタカナをあえて使っているのです。
 で、今日の話題の一つは「エクソダス」です。またカタカナなのですが、ここでは標記のとおり、「コミュニティのチカラ」を、改めて実感させられました。既にエクソダスは12月18日と1月10日に開催してきているのですが、今日は、朝の回も、夜の回も、それぞれにこれまでのどれとも違う印象を覚えました。朝のエクソダスは、われわれのスタッフやチラシのデザイナーをして「誤植」と勘違いされた「朝6時」からの開催でした。夜のエクソダスは夜7時からの開催で、アメリカ村に向かいました。
 簡単にエクソダスの解説をしておくと、集団でまちに繰り出し、参加者が一丸となって一つの出来事を作り上げる、という企画です。その出来事を作り上げるあいだに、どれだけの人が巻き込まれていくのか、さらには巻き込れた人々は、巻き込まれる前、巻き込まれる瞬間、そして巻き込まれた後、どのような雰囲気に包まれているのか、ということを明らかにしようという社会実験とも言えます。集団力学という定訳がある、グループ・ダイナミックスを専門としている私にとっては、極めて興味深い協働的実践でもあります。具体的に朝には、大阪城天守閣で開催されているラジオ体操会にスーツで参加するということ、夜には、アメリカ村を探索する(そして最後には三角公園にピザを宅配して、公園にいる人たちにもふるまってみる)、というものでした。
 これまで皆出席を通してきた私ですが、今日の夜にはBBA(ボーズ・ビー・アンビシャス)関西の第6回準備会に参加させていただき、エクソダスには應典院の森山主事が参加しました。それぞれの詳しいレポートは、またコモンズフェスタのブログで紹介させていただくことにしたいと思いますが、とにかく、それぞれのまちには固有の文化があって、人々の行動にはまちの文化的な特性が反映する、このことを、のべ4回のエクソダスで再確認しているところです。もちろん、こうした地域コミュニティだけでなく、夜に行ったBBA関西の集まりでも、会話の幅の広がりと、それぞれの日常で向き合っている問題の深さに、僧侶というコミュニティが持っているチカラを感じたりもしました。

2010年1月17日日曜日

震災15年、追悼法要、秋田光彦住職法話。

南無阿弥陀仏。1月17日、應典院では例年どおり、「この日」に、物故者を追悼する場を持ちました。「あの日」から15年が過ぎた今年は、震災世代とも言えるアラウンド35の皆さんを招いた寺子屋トークを開催することにいたしましたので、その開会前に、一般の方を交えた法要を行いました。その法要の後の住職の法話の内容を、ぜひ多くの方に知って頂きたいと願い、携帯電話(iPhone)で録音したものを文字に起こし、住職の加筆修正の上、公開させていただきます。





 このお寺の住職で秋田と申します。今日はコモンズフェスタの2日目ということで、この時間にご参集をいただきましてありがとうございます。とりわけ今日、この日、1月17日の記憶は、皆さんそれぞれに胸に深く刻まれていると思います。
 もう15年も前のことになりますが、私も被災の現場で数多くの体験、数多くの出来事を目撃しました。例えば、それまで、お葬式でお坊さんが泣くというのを見たことがなかった。震災の中で、葬式を勤めながら導師が、真ん中に座っているお坊さんが、おいおい泣きじゃくりながら読経している姿を見たのは初めてでした。また、どちらかというと誰にでも偉そうにしていたお坊さんが、ダウンに着替えて、つるつる頭にタオルを巻いて、若い大学生たちと一緒になって、バケツリレーをしたり、炊き出しをしたり、お風呂の掃除をしたりしている姿を見たのも、恥ずかしながら初めてです。
 どこか超然とした、日常のステージとは違うところに居座っていそうなお坊さんたちが、まちの階段の下へ、ふもとへ降りてきて、そしてみんなと一緒に、汗をかきながら、泣きながら、あの現場を共体験していった。これは当時、まだ40歳手前の私にとっては、大変大きな体験であり、それがこの應典院の出発点にもなっています。
 もう一つ、非常に尊いものを現場で目撃しました。
 私はボランティアコーディネーターの真似事をやっていまして、当時は臨時的なボランティア拠点みたいなところがあちこちに点在していたんですが、ちょっと所用があって、芦屋の市役所に出向いたとき、驚くような光景に出合いました。ちょうど土曜日だったので、あちこちから集まってきた、いわゆる土日だけの中高年のボランティアたちが役所の中に鈴なりの列をなしていて、「この列は何ですか」と聞くと「それぞれがボランティアの仕事の振り分けで、コーディネーターから指示を受けているんだ」。その順番待ちの列が長蛇の列をなしていたんですね。
 きっと、これだけの人を動かしている人は大物で、ボランティアの偉いさんだろうと思って、その列の先頭に行くと、そこに立っていたのは19歳の若い女性でした。19歳のすっぴんの、こう言ったら失礼ですが、まだ学生顔の彼女が、自分の父親、母親ぐらいの年代の人たちに、とても誠実に、また相手の希望をよく聴いて、じつに的確にボランティアの指図をマネジメントしていたという現場を目撃しました。彼女の配下には、それこそちょっとつっぱり風の男の子たちもたくさんいて、芦屋の市役所を拠点に、エリア一帯に救援物資を運んでいる状況も見ました。
 それまで日本社会には、大人と子どもとか、メジャーとマイナーとか、まあ、ある意味では、私たちの社会にはある揺るぎない構図があったのですが、目の前にあったものは実に心地よく、その構図をひっくり返すような出来事でもありました。そこには、一つの願いを共にする、世代や立場やキャリアを超えた、人々の新しいつながりを見て取ることができた。それは私にとって鳥肌が立つような、新しい体験でもありました。当時19歳だった彼女は今、34歳。今、どこにいらっしゃるのか、何をされているのか、知りませんけれども、恐らく、その19歳の彼女の姿にダブらせて、何百人、いや何千人、何万人という19歳たちが、あの現場を駆け巡っていたことは、皆どこかでご記憶かと思います。
あれから日本の地域社会は音を立てて変わり始めた、と私は実感しています。それまで、教科書の中や地縁的なしがらみの中でしか感じ得なかった「地域」とか「コミュニティ」ということばが、まったく違う輝きを帯びて、私たちの前に立ち上がってきました。そして、地域に暮らすとか、コミュニティに生きるということへの出発点として、あの19歳の彼女が、まっすぐに手を挙げてくれたんだ、ということを、今、振り返ってみてつよく感じさせてもらっています。その頃すでに私は中年の域に達していましたが、何か「よーし、がんばらなあかんな」という気持ちと、「ああ、日本は変わっていくんだな」という、何か無性にこみ上げてくるものを感じて、その原体験が應典院という寺の原点になっています。
 もう、名前を忘れてしまいましたけれども、19歳のあなた、本当に、ありがとう。そして、芦屋のあなただけじゃなくって、ここにいらっしゃる方もそうかもしれませんが、あの頃、まだあんまり世の中がよくわかっていなかったと思いますが、なぜか現場をp駆け巡っているうちに、「ああ、ここが私が生きる現場なんだ」と確信して、そこで人生のチャンネルにピタっと来た人、たぶんここに何人かいると思いますが、皆さん、その後、がんばっていますか。あなた方のこれまでとこれからを、ささやかなことしかできませんが、應典院は「支える」、というよりも「一緒に居続けたい」と今も願っています。そして15年、また20年、30年経って、そのころ私がいるかどうかわかりませんが、お寺はあると思いますので、どうか應典院で巡り合った今日の日を、次への中継点にしながら、胸の中で末永く温めていただけたらな、というふうに思っています。
 正面にいらっしゃる仏さまは、浄土宗のご本尊、阿弥陀如来さまです。右に掲げた手は、よく励めよ、という意味、左にさしのべられた手は、よく抱けよ、という意味があります。どんなに傷つけられ、悲しみの淵に立たされても、私たちは誰かとのつながりの中で励むことができる、誰かを抱きしめることができる。そのシンボルとしての仏さまが、今、正面にいらっしゃいます。難しい信仰の話をするわけではないのですが、どうか私たちの記憶の中に、一つの意志としての、決意としてのお姿を、この阿弥陀さまに見てとりながら、今日のこの日を、改めて深く噛みしめていただけたら、ありがたく思います。
 今日は本当にありがとう。お帰りなさい。

2010年1月16日土曜日

コモンズフェスタ2009/2010 開幕!

 本日、コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力〜+socialの編集者たち」が開幕いたしました。展示開始時間には、まだ展示構成ができあがっていない、搬入等々の車がガス欠、荷物引き取りの段取りに手間取る、など、バタバタでの開幕でした。スタッフの口から、つい出てきたのは「戦場」ということばです。確かに、とりわけ「時間」との戦いでありました。
 初日にあたる本日は、10時から、サウンドアーティストの中川裕貴さんによる「editing body around the sounds」という企画が2階「気づきの広場」にて行われました。この期間中、花村周寛さんの手によって、墓場を見下ろすロビーは、「公園」に変身(トランス)しております。よって、公園でチェロを弾いている若者、というような風景が成立していました。そうした空間において、中川さんはただ弦楽器の生演奏するだけでなく、楽器を無理やり電気増幅させる「ライブエレクトロニクス」という手法を用い、應典院の外の音(例えば、車の通る音など)を交えて、何とも言えない不思議な時間を生み出していただきました。
 その後、17時からは、2006年度より(2回のコモンズフェスタでの開催分は除いて)piaNPOにて展開してきた「ARCトークコンピレーション」のファイナル、30回目が本堂ホールにて開催されました。この催しは、その名のとおり、「コンピレーションアルバム」と言われる音楽CDがあるように、多様な人やテーマをある方針に基づいて1つにまとめるトークイベントとして展開してきたものです。最終回のゲストは、今回のコモンズフェスタでの空間構成を担当いただいている花村周寛さんでした。スライドを使って説明をしたい、という考えもお持ちだったのですが、ここは後にポッドキャストにも音声が乗る、ということで、今回の展示に重ねた「公共性への揺り戻しという問いかけ」について、素の語りをお願いいたしました。
 ちなみに、應典院の本堂ホールは、まさに「本堂」という名が含まれているとおり、中央にご本尊がおられます。よって、本堂ホール内での飲食はご遠慮いただいているのですが、今回は「特別」の機会、ということで幕の内にお隠れいただき、花村さんのトーク終了後に過去のゲストの方々と共に歓談と振り返りのパーティーを行いました。秋田光彦住職曰く「感度が高そうな人たちが集まっている」とのこと。今回の内容もまた、ポッドキャストで配信されますので、またhttp://www.webarc.jp/arcaudio/をお楽しみください。

2010年1月15日金曜日

「U35の実力」 いよいよ開幕へ

 1/16開幕のコモンズフェスタ2009/2010、会場での仕込みも大詰めとなって参りました。本日は花村さんによる「トランスパブリック」、中川裕貴さんの「editing body around the sounds」、上田假奈代さん・岩淵拓郎さんの「ことばくよう」と、展示・表現系3組の仕込みが行われました。スタッフの機運も急激に高まって来ています。ちなみに、運送屋さんなど、出入りの業者の皆さんにも、新鮮な感動と意外性への驚きを覚えていただいているようです。
 そんななか、本日、相次いで3つの新聞記事が出ました。一つめは過日お伝えした毎日新聞の「ことばくよう」の記事です。二つめが、以前主幹の山口が京都新聞から受けた当時の「震災ボランティア」の今に関するインタビューです。そして三つめが奈良日日新聞で主幹が連載しているコラムの三回目として「震災と慈悲」について記したものでした。
 これは住職がかねがね仰っているのですが、現代人の新聞離れ、あるいは活字離れが進んでいる中、改めて、新聞というメディアの特性や可能性は何か、というのを、取材、そして掲載を受けて感じました。個人的な印象にすぎませんが、このところ続けている、あるいは続いているTwitterと比較して言うと、「制約」という点に、その問いを解く鍵があるのではないか、と思いました。つまり、Twitterには登録制で140字しか執筆できない制約があるのですが、新聞もまた、毎日発行で紙幅の限りという制約があります。
 ただ、Twitterと新聞には、自分が「伝える」側と「伝えていただく側」という圧倒的な違いがあります。そう思うと、新聞の記事と情報欄とコラムと広告は、それぞれにまた意味合いが違うとも考えるところです。もっと言えば、写真の有無、記者の方の署名の有無、さらにはカラーか白黒か、果てにはどこの新聞か、というのも、情報を受け取る側のモードを左右するでしょう。ともあれ、相次いで3つの記事を掲載いただくことになった震災15年の間際、以前は成人式だったこの日。当然のことかもしれませんが、徐々に「あの日」を強く意識するようになってきています。

2010年1月14日木曜日

取材から15年前を想い起こす


 本日、読売新聞の記者の方に、1月17日の寺子屋トークに関する取材をいただきました。いよいよ開催が迫ってきたところですが、一人でも多くの方に参加をいただきたいという私の願いと、記者の方の「どんな人がなぜこのような企画を組み立てのか」を知りたいという思いが重なって、2時間弱、取材と撮影をいただきました。途中、ゲストの谷内博史さんにも電話にてコメントをいただいたのですが、さて、いつ、どんなふうに掲載されるのかが楽しみです。

 今回、長時間にわたって取材を受け、取材に対応させていただいたのは、私が震災当時、神戸大学の国際文化学部の避難所でボランティアをさせていただき、記者の方がその体育館に避難をされていた、というつながりがあったためです。まずは先週の木曜日に電話で取材をいただいたのですが、そのとき「なぜこのゲストの組み合わせだったのか」と訪ねられ、私自身の経験も交えてお話したところ、こうした運びとなった次第です。私は1月30日に、まずその避難所に向かい、2月1日から開始を予定としていた立命館大学ボランティア情報交流センターのボランティア受け入れの下見に行き、その後2月1日から1週間ほど現地に滞在して、受付のお手伝いやこどもたちの遊び相手、さらには救援物資の整理等、その場の状況にあわせたお手伝いをさせていただきました。その記者の方は、避難所の受付によく座っておられ、避難所から仕事に行く方が増えてきた頃には、避難されていた特に主婦層の方々の話し相手になったりしておられたそうです。
 そんな2人のつながりがあったので、成功談や美談だけでなく、少なくとも私からは失敗談や懺悔の念が出ました。特に、その避難所にいらっしゃって、受付の対応もされていたということもあったので、少し本題から離れ、「ノート事件」とでも言える、ある出来事について、それぞれの印象を語り合うことになりました。簡単に言うと、ある日(私が一旦京都に帰る直前だったので、その避難所で活動して1週間程経つ頃)、ボランティアスタッフの連絡帳として、リレー形式で綴っていたノートを、お手伝いをさせていただいた避難所の受付に置き忘れ、その中身に目を通された避難所の方の怒りを買い、一旦活動の拠点としては撤退をすることになった、という出来事です。若気の至り、と言えばそれまでのことだったのでしょうが、その後、私が「フィールド(現場)」に関わるときには一定の緊張感を持たなければならない、と強く考えるようになったきっかけの一つとなっています。
 「長らく震災から遠ざかっていた気がするのですが、きっと、ずっとあのときのことを携えていくんでしょうね」というのが、私たち2人に共通する「あの日」に対する感情です。そして、恐らく、あの日、あのとき、あの場所に身を置いた人は、それぞれの引き取り方で、<KOBE>のことを引き受けており、今後も引き受けていくのではないかと思っています。ちなみに、例のノートで、被災者の方が怒り心頭に発することになったことばは、「被災者の自立を促す」といったことばが綴られていたことによる、それが本日確認できたことでした。ちょうど、私の恩師の渥美公秀先生がクローズアップ現代に出た日に、こうした取材を受けることになったのも不思議な感じですし、改めて「なぜ、非常時に京都からわざわざ学生が駆けつけ続けたのか」、また「どこかで感謝を求めていなかったか」というようなことを、中田豊一さんの「ボランティア未来論」なども読み返しながら、また振り返ってみたいと思いました。

2010年1月13日水曜日

コモンズフェスタ「トランス・パブリック」仕込みはじめ

 いよいよ、コモンズフェスタ2009/2010の期間全体を貫く展示「トランス・パブリック」の仕込みが始まりました。空間構成をいただいているのは、ランドスケープ・デザイナーの花村周寛さんです。これは一目瞭然、なのですが、「道路標識」をモチーフにした展示が、應典院の各所に置かれています。まちのなかで随所に見かける「記号」である道路標識が、應典院というお寺の内部空間へ持ち込まれているのです。
 当初、この企画には、「パブリックモード/プライベートコード」という名前がつけられていました。private codeとは通常は暗証コードを意味するそうです。なぜ、そこに「パブリックモード」という、対比的な概念が合わさったのか。そして、なぜ「トランス・パブリック」という名前になったのか。まずは、以下、花村さんがまとめられたコンセプトをご参照いただければ、と思います。

「みんなのため」がパブリックだとすれば、何をすることがみんなのためになるのかがとても見えにくい時代に僕らは社会に出た。そんな僕らは、とてもプライベートな「自分のために」していることをみんなと共有していくことからパブリックを考えようとしているのかもしれない。この空間構成/インスターレションではプライベートとパブリックを反転させたり相互貫入することで 僕らの時代のパブリックを問い直してみたい。街にあふれているパブリックの記号を使って、プライベートな表現をしてみること。あるいはプライベートな行為をパブリックスペースの中に差し込んでいくこと。空間展示だけではなく行動展示なども 交えながらパブリックのコードとプライベートのモードをクロスし、その境界を曖昧にしていくこと。そんな僕らの世代の共有感覚を表現したい。

 では、なぜ、名前が変わったのか、一言でまとめるなら、花村さんの「こだわり」となるのですが、「トランスパブリック」とした方が、上記のコンセプトを直接表現するものとなるだろう、との判断に至ったためです。実際、本日、應典院2階の「気づきの広場」には人工芝がひかれ、お寺のロビーが「公」園へと「トランス」しました。こうした空間に道路標識のモチーフによって表現された「私的」な情報が展示されていくことによって、「公」と「私」がうまく倒錯していくことになるでしょう。とまあ、ここまで文字で表現しながらも、結果として「百聞は一見しかず」ですので、どうぞ16日から31日まで、パブリックなモードをまとい、少しだけ「異化」された應典院にお越しください。

2010年1月12日火曜日

毎日新聞に取材をいただく

 コモンズ前のお休みを昨日はいただいて、本日、毎日新聞の記者の方に「ことばくよう」の取材をいただきました。10時くらいから、11時過ぎまで。かなり丁寧に聞き取りをいただき、企画に込めた思いを引き出していただきました。最後には、ぼちぼちと集まってきたお手紙を並べて、写真撮影もしていただきました。さて、どんな記事になるのか、楽しみです。
 この「ことばくよう」という企画は、阪神・淡路大震災から15年を迎える今年、その15年という時間の流れに対して、何かできることはないだろうか、という我々からの投げかけです。というのも、昨年度のコモンズフェスタにて行った「詩の学校スペシャル」に、たかとり協会のスタッフの方が来られたのです。ネットで情報を見つけていただいて、当日に直接参加をいただいたのですが、「こうした場があって、自分のことばで震災を語ることができてよかった」というようなことばを遺していかれたのです。その感想が大変印象に残り、改めて、自分のことばで震災を語る場や機会をつくることが、震災から年月が経ったからこそ大切なのではないか、と考えたのです。
 あわせて、お寺がことばを集める、あるいはお寺でことばを紡ぐ、これもまた大きな意味があると、得心しつつあります。まさに「駆け込み寺」ではないのですが、お寺にやってきて、なかなか言えなかった思いをことばにすることは、住職が年頭所感で話された「書く」と「打つ」の違いにも通じる意味や価値ではないかと思っています。今回の「ことばくよう」は、そうして、自らが駆け込むのではなく、封書にことばをしたためて思いをお寺に届けて頂こう、というのが狙いです。そして、そうして届けられた思いをきちんと受け取り、気持ちを引き取りたい、という考えから、「展示」と「浄焚」という2つの場を生み出すことにしました。
 何より、「死を悼み」「生を誓う」と、副題に掲げたこともまた、お寺とことばの関連づけをする上で、必要なタイトルだと考えました。誰かが死ぬということは悲しいということ、そして他者と共に生きる上では慈しみにあふれているということ、この当たり前のようで、あまり前には出てこない感情に、今一度光を当ててみたいと思ったのです。もちろん、ここまで書いたものの、まだまだ企画の意図をことばに整理しきれていませんし、企画の意図に対して実施の意義は、それこそ時間が経つごとに厚みを増していくことでしょう。ともあれ、そうした厚みを左右するのは、みなさまから寄せられる手紙であり、それを見に来られた方々の反応であり、その反応の一つとして、展示を見て頂いた上で、その方が手紙を送って頂く、ということになりますので、どうぞ、ご関心、また投函・来場をいただきますよう、お願い申しあげます。

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ことばくよう〜死を悼み、生を誓う4つの物語〜
http://commonsfesta.blogspot.com/2009/12/blog-post_2227.html

あの日から15年の手紙

15年前をふりかえって 自分へおくる手紙
15年前に仲良しだったあの人へおくる手紙
15年前に 会えなかったあの人へおくる手紙
15年前 言えなかったことばをしたためて おくる手紙

15年前 たしかに 15歳若かった自分
15年前 阪神淡路大震災や オウムの事件のあった
15年前 社会がなにかにおびえ始めたことを 肌に感じた
15年前 いまはこの世にいない人と 語らったこと
15年前 そしていまも生きている自分

6000人以上の被害者を出した阪神・淡路大震災から15年。あの日、もしくはあの日から今に至る日々を振り返って、手紙を書くとしたら、あなたは 誰に何を綴りますか。会えなくなってしまったあの人へ、会えなくなってしまった自分へ、そして会ったこともないどこかの誰かへ...。あなたのことば を手紙にして大阪市天王寺区にあるお寺・應典院までお送りください。ご応募いただいたお手紙は、應典院2F「気づきの広場」にて展示させていただ きます。また会期終了後は、みなさんとともに表現を通した参加型のあたらしい「供養」を考え、浄土宗の儀式に則り浄焚していただきます。(個人 特定されないよう、展示の際には配慮させていただきます)

○応募期間 1 月 31 日まで
○応募方法 封書にてお送りください。文字数、枚数は問いません。
 ※差出人のお名前・ご住所は封筒裏面にお書きください。
○あて先 〒543-0076 大阪府大阪市天王寺区下寺町 1-1-27 應典院寺町倶楽部

2010年1月10日日曜日

エクソダス2回目〜コモンズフェスタ参加者顔合わせ・交流会

 本日は長い一日でした。朝10時からは、コモンズフェスタのプログラムの一つ「エクソダス」の2回目が開催されました。開催中に現場からTwitterにてつぶやいたとおり、高校生7人、大学生4人、社会人1名の混成チームで、数々のミッションを展開して参りました。應典院に集合した後、黒門市場を一列で歩き抜け、味園ビルの2階を探訪し、NGKの近くのたこ焼き屋さんに並び、ジュンク堂千日前店内から道具屋筋へと通り抜け、電気街と移動しました。そして、日本橋のまちを、巧妙なシナリオで遊びました。
 もともと、エクソダスとは旧約聖書にある「出エジプト記」を意味すると共に、そこから転じて大量脱出を指します。多少逆説的となりますが、このエクソダスという企画について、説明させていただきます。そもそも、今回の企画にエクソダスという名は花村さんにつけていただきました。なぜ、その名前が選ばれたかというと、今回の企画が、「まちを遊ぶ」ことを目的にしていたためです。なぜ、「まちを遊ぶ」企画に大量脱出を意味する宗教用語を用いたのか、そこには現代の都市における公共性を考える重要な手がかりがあると考えたためです。
 とりわけ都市というものは、多くの人々が暗黙の内に無数のルールに従って生きています。そこで、逆に、小集団かもしれないが、新しいルールをつくり、既存の都市システムとうまく融合させることができれば、都市を遊ぶことができる、と考えました。元ネタは、既に絶版となっている粉川哲夫さんの「都市の使い方」という書物(目次はhttp://www.amazon.co.jp/dp/toc/4335550413で見ることができます)です。それをもとに、「私」のしかけから「公」のしくみをゆさぶってみよう、と、多くの人に呼びかけて、既存のシステムを「脱出する」という社会実験に取り組んでいるのが、この「エクソダス」なのです。
 詳しくはまた、別の機会にレポートにまとめますが、日本橋では、空いていない店舗に行列をしてみる、何の変哲もないものに写メをしまくる、韓流スター(とされる)「イ・チュガン」が登場し(たこととして)サイン攻めと写真撮影をねだる、新進アイドルにオタクが群がる、といったミッションを展開してきました。これらの模様は、16日からの「トランス・パブリック」の展示内で紹介させていただく予定です。ちょっとした高揚感をもとに應典院に戻ってから、もろもろ打合せや準備をした後で、18時から、参加者の交流会を行いました。こちらも、Twitterでつぶやいておりますが、今回の企画にご縁のある皆さんにお集まりいただき、顔合わせと企画の概要を共有しあいました。

2010年1月9日土曜日

サリュ・スピリチュアル、発刊。

 既に多くの方々の手にわたっているところかもしれませんが、1月10日付で、「サリュ・スピリチュアル」を創刊いたしました。これは、應典院ならびに、その「本寺(ほんでら)」にあたる大蓮寺のまわりで展開されている「スピリチュアリティ」にあふれた取り組みを紹介していく冊子です。A4版で16ページ立てです。冊子の形態で3000部を印刷しています。これまで應典院にご縁のある方の多くには、年賀カードと同送をさせていただいております。
 インターネットの時代に、改めて冊子の形態での情報発信に力を入れ、新たな媒体が創刊されるに至った背景には、應典院が持ってきた「活字文化」の再興という意図がありました。二代目主幹が着任して、早いもので5年目を迎えようとしていますが、自省的、自戒的な言い方で恐縮ながら、インターネットやパソコンに長けているはずの人物ながらに、なかなかネット環境における情報発信が活性化しておりません。その一方で、長年、冊子の形態を取ってきた情報誌「サリュ」は、2008年度からは見開きのタブロイド判の新聞のような形態にリニューアルし、一方で発行頻度を高めることにいたしました。これらにより、じっくりとした読み物が、應典院の「ファン層」に届けられていないのではないか、という危惧を住職がなされたためです。
 また、冊子の媒体を新創刊した原動力には、かねてより、應典院には、宗教者であるか否かを問わず、霊性に満ちた活動、生気にあふれる人物が集まっているため、そうして貴重な場が生み出されていることに、適切な評価と意味づけを行いたいという考えがあります。ただ、スピリチュアリティということばは、人間の精神的な健康を導く他者の力、というように、個人に消費されるもののように捉えられている傾向があるようにも思えます。とはいえ、本誌「サリュ・スピリチュアル」という名に掲げたスピリチュアリティというのは、そうした物質的な豊かさ、あるいは目の前にいる他人からのことばや行為によってのみ導かれる物事を指しているわけではありません。むしろ、先ほど度から書いているように、ある空間で、ある時間が生まれ、そこに集う人たちどうしで、互いに何かを感じ、語り合う中で生まれる、えもいわれぬことを、何とか文字にしたいという意図があります。
 PDF版はhttp://idisk.me.com/outenin/Public/20100110salutspirtual01.pdfからダウンロードをいただけます。一方で、本誌では、p.13に「YWCA」と記すべきところを「YMCA」としてしまいました。ここに謹んで訂正させていただき、お詫び申しあげます。なお、部数には余裕がありますので、「ぜひ本誌を設置したい」というお考えのある方には、どうぞ、ご連絡をお願いいたします。

2010年1月8日金曜日

定例会議+10日は<エクソダス>!

 毎週金曜日は應典院スタッフによる週間会議をしています。予定の確認、報告事項の共有、協議事項の審議、などを行っています。2006年に私が着任する前からも、同じような会議が重ねられてきたといいます。2006年の10月からは築港ARCプロジェクトが本格化し、新たにチーフディレクターが雇用されていますが、2週間に1回は築港ARCからも本体の会議に参加してもらって、それぞれの現場の状況について理解と関心を深めています。
 時間にして1時間くらいの議論なのですが、毎週定例でなされていることに大きな意味があります。場を持つことによって、「聞いていない」「どこで決まったのか」ということにならないためです。今日の会議は3人でした。それでも、コモンズフェスタの会期を間近に控え、細かくも重要な事柄について意見交換がなされました。
 とりわけ、昨日の催しに、若者たちが多く集まったことを受け、「U35の実力」というテーマを据えたことの意味、そしてそれらの企画の趣旨について、改めて確認をしました。そして、ブログやTwtterの活用(例えば、ハッシュタグの意味)について、それぞれの理解を深めたりもしました。なお、今後、コモンズフェスタのブログでは、スタッフによる「事務局レポート」を掲載していくことも決めました。さらには、会期中は20時までが展示時間なので、消灯の当番の割り振りも行われました。
 通常、週間会議は朝の10時から行っているものの、本日は変則で16時からでした。午前中は昨日の片付けや決算の作成、また、メール上での告知や申し込みへの返信などに充てていました。その中で、ある新聞記者の方から、「今宮戎神社ですか?」という間違い電話が2回ほどかかってきました。恐らく、メモリの選び違いの間違い電話で、10日えびすについての問い合わせだと思われるのですが、「こっちはコモンズフェスタをやってます、10日は<エクソダス>という企画があります!」とアピールをする前に、あえなく切られてしましました。




エクソダス参加者募集



 應典院で行われる「コモンズフェスタ」 の行動展示の一環として、大阪市内で 参加型パフォーマンス “エクソダス” を行います。
エクソダスは集団で移動しながら街の 各所で違和感を起こすパフォーマンス で、どなたでも参加する事が出来ます。
日常を脱出した視座から都市を眺め、 実験的/実践的に都市に関わるパ フォーマンスとして行われるエクソダスは、都市で見る日々の人々の行為を 極端に増幅したり、法制度がもたらす 風景の限界に挑んだり、システムを徹 底的に利活用したり、集団で演劇的に 都市に関わりながら私たちが日々何を 共有していて、何がタブーとされてい るのかを浮き彫りにします。
都市を使 いこなしながら、状況をデザインして いくことを目指すエクソダスにあなた も参加しませんか?

日時
12月18日(金) 13:30~
1月10日(日) 10:00~
1月18日(月) 06:00~ / 19:00~
1月22日(金) 13:30~
1月30日(土) 10:00~

場所
應典院 1F ロビー集合。 その後市内各所へ移動します。
(交通費は参加者負担)


参加費無料、完全予約制。 参加希望の方は、以下のメールに 予約を入れて下さい。
arc@outenin.com

主催:應典院寺町倶楽部/トランスパブリック

2010年1月7日木曜日

西村佳哲さんで、コモンズの幕が開く。

 本日、コモンズフェスタ2009/2010のプレトーク、無事終了いたしました。参加者は39名。本来は30名のところ、遠くは岡山からお見えになった方や、キャンセル待ちで当日お越しいただいた方まど、熱心な方々の姿勢には、主催者冥利につきる、と感じてしまいました。感謝いたします。
 その内容については、應典院のTwitterアカウントでは初となる「中継」をさせていただきました。既に、應典院主幹(山口)は、11月7日の全国アートNPOフォーラムの第3分科会(#anf09c)や11月アートNPOミックス(#artnpomix)にて、手探りながら感触を得ていました。そこで、今回はコモンズフェスタ全体に対して #commonsfestaというハッシュタグ(なるもの)をつくり、実況中継をさせていただきました。ハッシュタグについて説明すると長くなってしまうのですが、さしずめ「Twitter」の世界で、同じ事柄についてつぶやきあう上での共通キーワードと捉えていただければ、と思います。
 ともあれ、西村佳哲さんのお話と、参加者の皆さんとの対話を中継をさせていただいて改めて感じたのは、「間」の大切さ、です。とりわけ應典院は活字をはじめ、文字で物事を表現することに慣れてきているのですが、そうして感情よりも思考が優先されてしまえば、どこかで、その場を取り繕う類の発言を繰り返してしまうことがあります。当初はそれが嘘ではありませんが、一度言ったことと現実とが微妙に異なるとき、それをつぶやいたことを現実化しなければならないというプレッシャーに責めさいなまれることになります。こうした、人、もの、こと、それらとの向き合い方について、西村さんのお人柄を「中継」をさせていただくレポーターの立場から、深く感じ入っていた次第です。
 本日の「プレ」トークをもって、いよいよ今年度のコモンズフェスタが開催の運びとなります。初日である16日も、かなり多くの催しが盛り込まれておりますが、17日には私が企画をいたしました寺子屋トーク第57回「+socialの編集者たちが語る・思いをつなぐしくみ・地域に根ざすしかけ」 が開催されます。以下、テキスト版のご案内を貼り付けさせていただきますので、どうぞ幅広い方々のご関心、ご参加をお待ちしております。また、本日の模様は、依頼をさせていただいた「モニターレポーター」の方々のコメントとして、コモンズフェスタ特設ブログにおいて、それぞれの形で報告させて頂く予定です。


<阪神・淡路大震災15年・特別企画>
應典院寺町倶楽部・主催 「寺子屋トーク第57回」
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    +socialの編集者たちが語る
〜思いをつなぐしくみ・地域に根ざすしかけ〜
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1995年1月17日、あの日。
わたしの人生は変わっていった。
ー震災世代の4人が語る、社会の「リ・デザイン」。

<趣旨>
「現代の寺子屋」として、本堂を学び・気づき・遊びの空間に提供されている應典院。阪神・淡路大震災から15年を迎えるその日、震災当時に学生であった4人が、今、現場で得た学び、気づきをどのように活かしているのかを語り合います。全国と京都でそれぞれ「お金の流れ」を考えている二人、それぞれの地域で市民の社会参加の枠組みを追究している二人、2つの対談を経て、ご来場の皆さんと共に、よりよい社会をデザインする「+Socialな編集術」を考えます。佐藤大吾×深尾昌峰セッションでは「お金の流れと志のつながり」に、谷内博史×いなむら和美セッションでは「地域の<見える化>と市民の底力」に、それぞれ焦点を当てていきます。
【会場前には30分程度、震災の物故者の追悼法要が行われる予定です(12時半開始予定)】

<内容>
13:00 開場
13:30 開会
13:35 対談 1 佐藤大吾 × 深尾昌峰
14:35 対談 2 谷内博史 × いなむら和美
15:35 休憩
15:45 パネルディスカッション
     進行:山口 洋典(應典院寺町倶楽部)
16:30 終了(ワンコイン交流会開催)

<ゲストの横顔>
佐藤大吾(特定非営利活動法人チャリティ・プラットフォーム理事長)
73年大阪生まれ。大阪大学中退。企業へのインターンシップ事業、商工会議所主催「段取り力検定」を立ち上げるなど、一貫してキャリア教育事業に携わる。98年、議員事務所でのインターンシップを運営するNPO法人ドットジェイピーを設立。累積約9000人の学生参加のうち、25人が議員として活躍。ヤフー、楽天と政治サイトの運営も行い、政治のIT化活動にも注力。07年、NPOを財政面から支援するNPO、チャリティ・プラットフォームを設立。

深尾昌峰(公益財団法人京都地域創造基金理事長)
公益財団法人京都地域創造基金理事長。74年京都生まれ。滋賀大学在学中に震災ボランティア活動に従事。97年10月から特定非営利活動法人きょうとNPOセンター設立構想に参加し、98年より09年12月まで事務局長。01年からは日本で初めてのNPO法人放送局京都コミュニティ放送(京都三条ラジオカフェ)事務局長も兼務。また03年から07年までは京都市市民活動総合センター長も兼務。09年3月、同センター10周年事業で設立した基金の理事長に。

谷内博史(七尾市企画政策部企画経営課地域づくり協働推進室まちづくりコーディネーター)
七尾市企画政策部企画経営課地域づくり協働推進室まちづくりコーディネーター。71年広島生まれ。震災当時、立命館大学ボランティア情報交流センター代表を務める。その後、滋賀県の草津での地域通貨、奈良を中心にしたコミュニティ・シンクタンクの展開等に取り組み、03年より石川県七尾市にてまちづくり会社で官民協働シンクタンクの運営、まちづくり人材の育成に取り組む。09年より現職で、市民税1%を原資とした市民のまちづくり提案公募協働事業を担当。

いなむら和美(兵庫県議会議員)
兵庫県議会議員(無所属・市民派)尼崎市選出。72年兵庫生まれ。神戸大学法学部在学中、阪神・淡路大震災に。その後、学内の避難所で学童保育のボランティア活動に取り組み、神戸大学総合ボランティアセンターを設立、初代代表に。被災者支援の政策提言活動にも取り組む。神戸大学大学院法学研究科修士課程修了後、証券会社勤務を経て03年、兵庫県会議員選挙に尼崎選挙区から立候補し、当選。活動内容は、インターネットの公式サイトwww.inamura-kazumi.comにて。

<開催概要>
○日時 1月17日(日) 13:30〜16:30
○参加費 一般 1500円 学生 1200円
     阪神・淡路大震災で被災された方は無料招待(受付にてお申し出ください)
○定員 80名(予約優先制)
○お申し込みサイト「上町台地.cotocoto」の専用フォームをお使いください。
http://uemachi.cotocoto.jp/event/36407
【インターネット環境にない方には、以下の事務局までご連絡ください】

<問い合わせ先>
應典院寺町倶楽部
〒543-0076
大阪市天王寺区下寺町1-1-27
TEL:06-6771-7641
FAX:06-6770-3147
info@outenin.com

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※本事業は、應典院の総合芸術文化祭「コモンズフェスタ」の参加事業です。今年のテーマは「U35の実力」。1/16〜31にかけて、大小18の企画が開催されます。詳細は、特設ブログ:http://commonsfesta.blogspot.comにて。

2010年1月6日水曜日

1/7、コモンズフェスタのプレトークで西村佳哲さんが!

 このブログを読んでいる方にはご承知いただいていると思われるのですが、1/16から31にかけて「コモンズフェスタ」が開催されます。既に12/18には、お試し企画として「エクソダス」の第1回目が開催されております。そして、1/7(このブログを書いているときには「明日」)、プレトークと題したトークサロンが開催されます。詳細は以下に貼り付けさせていただきました。
 コモンズフェスタとは、劇場寺院と銘打つ應典院にて、1998年から開催されているNPOとアートの総合芸術文化祭です。1997年に再建された鉄とガラスとコンクリートのモダンな空間が、それぞれの創意工夫によって多彩に彩られます。2006年までは10月から11月にかけて開催されてきたものの、2007年からは会期を1月に移行しました。
 毎年、それぞれにテーマを設定させていただいてきておりますが、今年は震災15年ということもあって、それにちなんだ企画によって組み立てられております。ずばり、そのテーマとは「U35の実力〜+socialの編集者たち」です。これと震災がどう絡むのか、と思う方もいらっしゃるでしょう。これは、震災15年、当時はまだ社会に出ていなかった(例えば、学生であった)若者たちが、今、社会をどのように「リデザイン(再設計、再構想)」しているかに観点を向けた、という意図があります。
 大小18の企画が皆さんのお越しをお待ちしております。取り組みの内容については、今後、應典院のコモンズフェスタ特設ブログhttp://commonsfesta.blogspot.comでご紹介させていただく予定です。ともあれ、明日、1月7日にはプレ企画として、『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)で著名な西村佳哲さんをお招きしたトークイベントを開催いたします。その他、17日には震災ボランティアの経験から兵庫県議会議員(無所属・市民派)となったいなむら和美さんや、京都地域創造基金の深尾昌峰理事長、チャリティープラットフォームの理事長を務める佐藤大吾さん、また石川県七尾市で「でか小屋」と呼ばれる芝居小屋を再生する活動などに取り組んでいる谷内博史さんなどをお招きした「寺子屋トーク」の開催します。そのほか、お寺を拠点にした催しならではの「ことばくよう」、さらには本堂に「仮想」で「理想」のまちを「仮設」する「ミニ★シティ」など、多彩な企画で皆様のご来場をお待ちしております!


〈以下転送歓迎〉

トーク「自分をいかして生きる〜西村佳哲さんと〈仕事〉を語る」

 人は「何のために働くのか、自分は何がしたいのか、できるのか。自己と現実の仕事の狭間で苦悩する人は多い。人々の雇用が大きく揺らぐ現代、改めて「働くことの意味」を考えるライブトーク。世界中の職業人から聞き書きした、ロングセラー「自分の仕事をつくる」「自分をいかして生きる」などの著書で知られる西村佳哲さんとともに語りあう2時間。現場と人から学んだ「仕事を生きる哲学」を聴きます。

ゲスト:西村佳哲さん(働き方研究家)

○日時 1月7日(木) 19:00〜21:00
○参加費 500円
○定員 30名
○会場 應典院1階研修室  (天王寺区下寺町1−1−27)
    *地下鉄谷町9丁目から西へ、日本橋駅から東へ徒歩7分
○お申し込み 「上町台地.cotocoto」 
 http://uemachi.cotocoto.jp/event/36404
    應典院寺町倶楽部 FAX(06-6770-3147)、電話(06-6771-7641)

★西村さんの本4冊!(Amazon)
http://bit.ly/79YNEk

☆最新刊「自分の仕事を考える3日間」は当日会場でも販売します。サインあり!

2010年1月5日火曜日

應典院より年頭のご挨拶:「責任」ということ

 謹賀新年、今年もよろしくお願いいたします。應典院のトップページからはリンクが見えないという、應典院の裏面を記しているようなブログです。だからと言って、更新の頻度が落ちてはならないのでしょうが、昨年は末に近づくについれ「コモンズフェスタ」の準備等でてんてこまいとなり、書く、ということがおそろかになってしまいました。もちろん、何らかの書き物は重ねてきていたので、おそろかになってしまったのは、伝えること、あるいは届けること、もしくは自らの歩みを振り返ることだったのかもしれません。
 そんななか、本日、1月5日、應典院は仕事始めでした。ついては朝9時から、恒例の秋田光彦代表による法話がなされました。そのお話が、私(山口)が直面している課題、あるいは壁、それそのものであったと感じ入っておりました。iPhoneで録音をしたものから文字にしましたので、精確には「テープ起こし」ではないのですが、特に前半部分、つまりは「抱負」の前までのところについて、皆様と共有させていただければ、と思います。実はただいまウェブサイトのリニューアル計画を構想、設計中でして、こうした書き物、綴り物は、今後、「コラム」的に、随時発表していく予定です。
 ともあれ、應典院から皆様への年頭のご挨拶の意味も込めて、以下、代表のお話を掲載させていただきます。一部、話しことばの言い回しを尊重した箇所があるため、文意がわかりにくくなってしまっているところがあるかもしれません。場合によっては随時修正させていただくことがありますので、ご承知置きくださいませ。ということで、また、ちょこちょこと覗いていただければうれしく思います。
 どうぞ、今年一年も、よろしくお願いいたします。なお、このブログとは別に、秋田代表と協力者の浦嶋さんによる生と死を考えるブログ「みとりびとは、いく(http://mitoribito.blogspot.com)」、さらには應典院におけるアートとNPOの総合芸術文化祭「コモンズフェスタ(http://commonsfesta.blogspot.com)」なども運用しております。どうぞ、あわせてお見知り置き願います。

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 あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
 どんなお正月を迎えられたでしょうか?私は原稿三昧でしたが、それぞれに家族や友人と親睦を深められたと思います。同時に、この一年をどういう一年でありたいか、ということを胸にしたのではないでしょうか?毎日が元旦だったら、よし、今日は頑張るぞ、という気持ちになりますが、その気持ちをなるべく持続できるように頑張って頂きたいと思っています。
 年始にあたって、今日は責任ということについてお話をします。お正月のあいだ、ある作家のエッセイをパラパラっと見ていましたら、おもしろいことが書いてありました。「日本語は打つのではなく、書くのだ」と。この「打つ」というのは当然キーボードのことです。今、ほとんどの日本語は打つものであり、横書きになってしまっている。けれども、その方は書家の方ということもあって、あくまで日本語は手書きで縦に書くものだ、ということを非常に強調しておられました。
 特にインターネットやメールを多用する私たちです。これは皆さん、自覚されていると思いますが、私たちはメールを打つとき、インターネットをするときに、自分自身の存在に匿名感を持ったりします。自分が誰か、という自覚が薄れることを経験されたことはないでしょうか?例えば、よくある脅迫メールや、中学生たちのチェーンメールなどは、匿名で相手を攻撃するものです。昔はそういう手紙がなかったわけではありませんけれども、「インターネットの時代には非常に顕著なのは、インターネットの中に横溢している日本語には責任がない」というふうに、その先生は書かれておられました。
 例えば、「お前、殺すぞ」と、手で書こうと思うと、「殺すぞ」と書くまでに、いろんなブレーキが入って、それを抑制するのではないでしょうか。脳が働いて、手の筋肉が反応しながら、こんなことは書いてはいけない、と自分を抑えようとしする、自制のコントロールが働くのではないでしょうか。しかし、キーボードでは「殺すぞ」と打ってしまう。その先生は、横書きで打つ日本語では絶えずある種の軽薄さはらんでいると警鐘を鳴らしているのです。
 もちろん、今更鉛筆を持って、マス目を一個一個埋めながら書くということは、私などは完全にできませんけれども、この話から改めて感じたことは、大事なことは打つのか書くのかという行為の性質だけではなく、自分の書いたことや言ったことに対して、どれだけきちんと責任を取るか、ということではないかということです。匿名性の問題というのは、絶えず責任の欠落ということとセットになっています。特に怖いのは、責任の主体である「私」が、匿名の透明の人間になってしまって、自分ではない自分がここにいて、何でもできるような全能感にあふれてしまって、自分というものの実態とは違う存在になってしまうことです。
 平野啓一郎という作家の『ドーン』という小説を読みましたけれども、大変面白かったです。彼はそういうことをメッセージとして言いたいのでしょう。今、この時代を生きている私たちは、生まれながらにして多重人格を兼ね備えている、と書いています。昔は多重性というと、ものすごく可能性があるように思いましたが、多重な自分の中のどこに自分の実態があるのかがわからなくなってしまっているという近未来を書いた小説です。
 責任ということばは、英語ではresponsibilityと言い、応答という意味を持ちます。日本人が「責任を感じる」と言うときの責任というのは、何か上から一方的に指示されて、「責任を取れ」というような感じの問われ方がなされることがあるので、責任というのは重苦しくって、縛りが強いものと感じがちです。しかし、英語の文化圏での概念では、責任は応答を意味します。つまり、responsibilityということばから考えると、まわりの人たちは私に呼びかけてくれている、まわりの人たちは私たちに応えてくれているという具合に、まわりの人たちに呼びかけ、呼びかけれる中で、互いの存在を確かめ合う宛先になることが責任なのだ、ということになります。
 我々の職場というのは、非常にことばが多い世界です。私も元々ことばが多い方です。しかし、それらのことばに特徴的なのは、極めて観念語、観念的なことばが多いということです。あるいは理想語と言ってもいいかもしれません。「こうあればいいな」ということを、すぐにことばにしてしまえるという、非常にいいポジションにいると言ってもいいかもしれません。教育が、アートが、宗教が、あまり現実を語りすぎたら、現実の見にくい部分を語ってしまうと、教育、アート、宗教ではなくなってしまいます。だからこそ私たちは、非常に美しい観念語を語りがちです。市民社会ということばも含めて。
 しかし、もう一度、私たちが謙虚に振り返らなければならないのは、私たちは本当にその美しいことばに責任を持っているだろうか、ということです。そのことを改めて再確認したいと思います。我々の行っている教育やアートや宗教というのは、人間の実存に関わる仕事です。簡単に言えば、人間の生と死に非常に接近しがちなポジションに私たちはいるわけです。その私たちが発することばというのは、ことばの巧みさや、ことばの多い少ないのみならず、そのことばが持っている深い定位にある意味そのものを、実は相手の方はくみ取ろうとされているのではないか、ということを肝に銘じた方がよいと思っています。
 私たちはことばは情報でありツールである、というふうに受け止めがちですが、私はそうではないと思うんです。もちろん、情報でありツールであるんですが、その向こう側には、ことばというものが持っている、深い厚み、人格そのものをあらわす、深い色合いがことばの定位には蓄えられていると思っています。それは意味以前の話です。
 私はこの職場で繰り返し「価値をつくろう」ということを言ってきましたが、これは実に大それたことなんです。そう簡単には実は言ってはいけないことなんです。価値っていったい誰が価値と決めるんだ、一人で良いことを言って「これが理想だ」と言ったとしても、それはその人のわがままで、好きなことを言っているだけで、それは価値とは言いません。では、日本人全体があることを知ってもらったら価値になるのか、と言えば、それはテレビのバラエティーにでも出ない限り、たぶんできないでしょう。つまり今日、価値というものの価値づけそのものも、非常に難しくなってきている時代であると思っています。
 ただ、私は価値をつくろうという夢や企みは、決して忘れたくありません。しかし、価値をつくるということに対する畏れ、また価値を届けるということの責任、このことは私たちは深く、肝に銘じないといけないと思っています。
 恐らく、多くの人たちは、この空間の持っている、ある種の精神性に対して、多くの人はリスペクトの気持ちを持ってやってきます。そのリスペクトを、間違っても、俺たちがやっていることがすごいから、ではなく、私たち一人ひとりの責任として受け止めながら、何を返していくのか。自分たちの存在に対して応答してくださっている皆さんにふさわしいことばや行いに対して、どうことばや行いを返していけばいいのか、その一つひとつに誠実であって欲しい、一つひとつに気持ちを込めてもらいたい、それがまず私たちの果たすことができる責任への第一歩だと思っています。そういうことを重ねていくと、自ずと教わっていくんですよ。そういうときに、ああ、責任というのは、決して誰かから押しつけられた負荷ではなく、私たち一人ひとりの中に輝きを保つ使命みたいなものだ、ということに気づいてもらえれば、と思っています。
(後略)

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