2009年10月25日日曜日

ミジンコターボ「お母さんはゾーマ」を観劇

 ミジンコターボの『お母さんがゾーマ!!』、千秋楽を鑑賞させていただきました。既に記させていただいたとおり、今回はペシャワール会の伊藤和也さんの追悼写真展開催中の公演ということもあり、仕込み日に行われる恒例の秋田光彦住職による講話が、いつもより長めでした。実際、劇団員の皆さんの多くに写真展の鑑賞もいただきました。一方で、ペシャワール会の皆さんにも、公演の円滑な運営への協力をいただきましたこと、謹んでお礼申し上げます。
 さて、今回の公演はタイトルを見て、あるいはフライヤーを見て、「わかる人はわかる」のですが、ドラゴンクエストというゲームをモチーフにした作品でした。妄想癖という表現を使ってしまっては元も子もないのですが、いわゆる「教育ママ」を大魔王(ドラクエ3の最終ボス「ゾーマ」)に見立て、魔王と王様の諍いを母と父の子育て方針の対立として取り扱ったというものです。そして、そのはざまに立たされるこどもが、自らが成長していく様を、ちょうど「ドラクエ」の勇者に重ねた、という具合でした。偶然にも、前週に公演をいただいたオリゴ党の皆さんの作品もまた冒険ものだった、と思い起こした次第です。
 ゲームの世界観を見事なくらい現実世界の葛藤にシンクロさせた脚本も印象的でしたが、その名のとおりに物語に抑揚、緩急、そうした変化を導いた役者さんたちの表現力に感服しました。とりわけ、弘中さんのダンスは、昨年のspace×dramaの特別招致公演「スーパーソニックジェットガール」での圧倒的なパフォーマンスを越えるもので、それゆえに私だけでなく鑑賞された方から自ずと拍手が生まれたのだと確信しています。また、いつものように力の入った宣伝美術もさることながら、入り口での幟、充実した物販、そしてエスプリのきいた前説、さらには映像を効果的に用いた「つかみ」と、劇団として随所に散りばめられた創意工夫に圧巻でした。さらに、これは個人的な感想ですが、山口いずみさん演じるお母さん&ゾーマの「セリフの二重性」に、劇創ト社の「ラジオスターの悲劇 3rdセッション」での「God Only Knows」のタロ役を思い起こしました(だからと言って、人間以外の役がすごい、という訳ではなく、堂々たるボスキャラのセリフと母の愛とを絶妙に演じきったという意味です…)。
 惜しむらくは、役者の皆さんの声が少し聞き取りにくかったということです。座った位置によるのかもしれませんが、片岡百萬両さん演じるチャゲが、ご本人曰く「ドラクエではプレーヤーが操る勇者は<はい>と<いいえ>の選択をするしかなく、セリフがない」という理由で全く発声をしないという設定であったので、ぜひ、南雲飛鳥さん演じるアスカの声は、全編にわたってクリアに届いていて欲しかった、と思いました。ともあれ、キャストと役名と、そしてセリフ(チャゲ&飛鳥『SAY YES』へのオマージュ)、さらには客入れの音楽(『PRIDE』)など、メタなレベルで意味を重ねてくる意図も含め、充分に楽しませていただきました。ただし、過去の公演を拝見すると、私はショートショート(いわゆる番外公演)しか鑑賞させていただいていないことに気づいたので、2009年1月21日~24日のHEPホールでの次回公演「ダメダメサーカス」(の再演)には、必ずお伺いさせていただこうと決意いたしました。

2009年10月22日木曜日

ペシャワール会「伊藤和也さん」追悼写真展開催中

 10月20日より25日まで、應典院の2階「気づきの広場」では、ペシャワール会の皆さんによる「伊藤和也さん」追悼写真展が開催されています。この写真展は、2008年8月、アフガニスタンの復興支援のために農業指導の活動に取り組む中、31歳の若さでこの世を去った伊藤さんの遺作展です。ご承知の方も多いと思うのですが、アフガニスタンなど、イスラムの国では、外国人が女性やこどもを撮影することが問題となることがあります。しかし、石風社から刊行されている「アフガニスタンの大地とともに―伊藤和也遺稿・追悼文集」の写真からもお感じいただけるように、現地の方々と伊藤さんとのあいだで親密な関係が築かれていたかは明らかです。
 今回のご縁は、應典院の2階にある「カウンセリングルーム」で取り組まれている、箱庭療法の勉強会に参加されている方からの打診がきっかけとなりました。常々、多くの呼びかけに応えていくことこそ、應典院の役割だと考えていることもあって、断る理由はまったくありませんでした。しかし、それ以上に、ぜひ應典院で、と考えた個人的な理由として、伊藤さんが静岡県の掛川市出身だということがあります。というのも、私(山口)が、同じく静岡県、しかも同じ西部地区の磐田市出身であったためです。



 昨日はご両親も静岡から来られました。2階のロビーに据えられたベンチに、ご夫婦で静かにたたずんでいらっしゃったところに、ご挨拶をさせていただきました。静かな物腰で、そして穏やかにお話をされる口調に、ふるさとの感覚を思い起こしました。そして、Twitterにも記させていただいたとおり、應典院の本寺にあたる大蓮寺の墓地にある、中田厚仁さんのお墓をお参りされてからお帰りになられました。



 そのお話を住職にさせていただいたところ、本日の朝、恒例となっている劇団の仕込み初日に行っております講話のなかで、伊藤さんについて、また写真展について触れられました。以下、私(山口)の視点でまとめさせていただきました。もしよろしければ、伊藤さんの死を悼み、またそれぞれの生を見つめ直すきっかけとなれば、と思っています。写真展は25日までですので、どうぞ、お時間をつくっていただいて、應典院までお越しいただけることを願っております。

*なお、途中の引用等は、文字表現が不確実な部分がありますので、加筆修正が入る可能性があることをご承知置きください。

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 あまりこのお寺では布教をしないと言っているですが、今日は仏さんのお話をしますね。特に、仏教という教えの中では、生きるということと死ぬということは分けて考えていない、ということについてです。恐らく私たちはどこかで「死んだら終わり」であったり「死んだ人はかわいそう」と思うことがありませんか。だとすれば、それは生のおごりです。
 死者は何も声を出しません。ですので、死というものの前にすると、生は謙虚さを失ってしまいます。 また、死に対するイメージがどんどん失われていくと、生はどんどん萎えていきます。生の権力の中に私たちも支配されてしまうのです。
 仏教では、生と死は、一つの大きな輪の中に入っていると捉えます。その輪の中にたまたま時間を区切る線が真ん中のあたりに入っている、と考えます。そして、こちらが生、こちらが死という具合になっているところを、輪の中の領域が円運動を起こして回っていきます。
 生きている時間と死んでいる時間は、一つの共通した時間軸の中にあるのですが、私たちはそのことに気づきにくく、そして気づいても忘れがちです。例えば、ものを買ってくれるのは生きている人だけですし、がんばれがんばれと言ってがんばってくれるのも生きている人です。一方で死んだ人にがんばれがんばれと言っても何も応えてくれません。だから、私たちは死んでしまうと語りかけることをやめてしまいます。ところが、昔の人は死者にたくさん語っていました。死者にいろんな思いを届けていました。けれども、だんだんだんだんそれが萎えてしまい、忘れ去られてしまったのです。結局、現実的に、私たちは生きている時間の中だけでしか生きていない、と考えるのです。
 ただ、時々は死は私たちの身近にやってきます。まるで「ほい」と肩を叩いてくるような感じ、びっくりすることがあります。例えば、愛する人が亡くなったときです。皆さんのお父さんやお母さん、こどもたち、例えばそういう方が亡くなったとすると、はじめのあいだはものすごい悲嘆にくれるのですが、そのうちに、なんで僕は生きているんだろう、というような問いがじわっとこみ上げてきます。
 私もそういう経験をしたことがあります。大病になっても、同じような問いがこみ上げてくるからです。私はいっぺん癌を患いました。一ヶ月程病院にいましたけれども、そのときには「自分は死ぬのかもしれない」と一瞬考えました。幸いにしてたいした癌ではなかったんですが、そうして死というものをつきつけられたときに、自分が何で生きているのかを考えさせられます。
 なぜ自分が生きているかを一番強烈に考えさせられるのは、自分の知っている人、つまり自分という固有性を越えた人の死に向き合うときです。私にとっては阪神・淡路大震災がそのときでした。ボランティアとして現地に駆けつけてみると、そこには知らない人の死がありました。「あんなに大勢死んでいるのに、なんで僕は生きているのか」と考えるきっかけを知らない人から与えられたとしたら、その人は絶対的な他者ではなくなっています。ここで極端な比較例を挙げますが、では、イランやイラクでの空爆で亡くなった人に対してどんな思いを抱くでしょうか。正直「ああ、大変なんだね」で終わることもあるのではないでしょうか。人間とは不思議なものです。
 去年、秋葉原では一人の男性によって何人かの若者が殺されました。その中で、将来音楽家を目指していた、大学生のことが心を痛めました。芸術やアートをやりたいという人が殺されたということに対し、表現を志す皆さんは何か痛みを感じませんか。彼女は携帯電話のチラシ配りのアルバイトをしていたとき、目の前でトラックにはねられたお爺さんを助けに飛び出したところをナイフで刺されたそうです。なんでそれが僕ではなかったのか、私ではなかったのか。そういう想像力を抱いて、時々思い出した方がよいのではないかと思います。
 ちょうど今、應典院の2階のロビーでは、去年の8月にアフガニスタンで殺害された伊藤和也さんの写真展を行っています。彼はペシャワール会というNGOに入って、アフガニスタンに行って、こどもたちと馴染みになりました。そして写真をたくさん残しました。しかし大変不幸なことに、ゲリラの人質になって、何日も引き回されて、最後、捜索隊が囲んだときに殺されてしまいました。当時31歳の彼が現地で撮った写真が展示されています。ぜひ見ていってください。明日を生きるために、写真を見て考えてください。亡くなった人が私たちに何を伝えようとしているのかを。ただし、そのことは、絶えず耳をそばだてていかないと聞こえてはこないでしょう。
 應典院の本堂にある、この阿弥陀さんという仏さんは、生と死ということがつながりあっていることを象徴する仏さんです。浄土宗ではよく南無阿弥陀仏と唱えます。南無というのは「おーい」と呼んでいることです。ですので、南無阿弥陀仏とは「阿弥陀仏、お願いします」という呼びかけを意味します。これを有名な絵本作家の葉祥明(よう・しょうめい)さんという方が「Call My Name」という絵本にされました。この中で、南無阿弥陀仏の一節をごく簡単に紹介している箇所があるので、少し紹介させていただきます。

「人はこの世を去るときになって、ようやく生きるということの意味を真剣に考えます。しかし、人は生きているあいだに、たびたび死を思う必要があります。そうすることで真に生きることができるようになるのです。悲しみの淵から抜け出せないときには、私を思い、私を呼んでください。あなたが苦しんでいるとき、あなたが悩んでいるとき、いつもあなたのそばに私がいることを覚えておいてください。苦しいときは私を思ってください。肉体の苦しみ、こころの苦しみ、いかなる苦しみであれ、苦しみの中にあるときには、いつでも私のことを思ってください。苦しいときは私の名を呼んでください。私は決してあなたを一人で放っておきません。」

 ここで言っている私というのは阿弥陀様です。先ほどは呼びかけという表現を使いましたが、阿弥陀様の立場からすれば、南無阿弥陀仏とは「私の名を呼んで」を意味するのだ、ということです。私の名を呼んだとき、私はあなたをひとりぼっちにしない、というレスポンスを阿弥陀仏は返してくださっているのです。では阿弥陀仏は何をしてくれるのか、呼びかけることでどんなメリットがあるのか、一体どんなサービスをしてくれるのかが気になるかもしれません。しかし、それは何もないのです。何もないんだけど呼びなさい、呼べばあなたは必ずあなたは救われるという、この目には見えない約束こそ、信仰なのです。
 今日皆さんに伝えたいのは、お寺で、ご本尊の前で演じる劇は、果たして何なのかということです。彩られた空間、おしゃれな空間へと仕込んで、ある世界をつくるということはどういうことなのか、ということを考えて欲しいということです。人が心をうたれるにしても、なぜ皆さんは演劇をするのか、そしてなぜお寺で演劇をするのか。と言うのも、あなたがたのお芝居はここでやろうが、どこでやろうが変わらないかもしれません。しかし、見てる人の意識は変わっていると思った方がいいのではないでしょうか。
 恐らく、お墓の風景を見ながら劇場に入ってきて、次にお芝居を連続して見る、これらは全く別物だとは思えません。何らかのイメージがつながっている、そんな風に考えています。先ほどからの話に重ねてみれば、墓場の風景を見ながらお寺の本堂での演劇を鑑賞することを意識するとき、その人は芝居を見るという経験から自分が生きている意味を見つめることへと突き戻されるのではないか、と思います。決してそれは自分がいかに生きて死ぬかという、自分が亡くなるという死の瞬間「death」への思いをかき立てるものではないはずです。これまでの自分を再生する、あるいは今を生きるチャンネルを切り替える機会をもたらしてくれるのではないかと考えています。
 先ほど、救われることが約束だと言いました。ただ、人間は必ず死ぬ以上、死なないという約束はできません。しかし、死ぬということの不安や恐怖から救われるということは約束できます。それをもう少し置き換えれば、生きることがしんどいという人もたくさんいるし、すごく悲しい思いに浸っている人も多くいます。そうした人たちがお寺で演劇を見に来たときには、お芝居を見て、もう一度元気をもらい、生まれ変わることもあるのではないかと思っています。こんな風に言うと誤解があるかもしれませんが、お寺で各種の表現がなされ、そこに多くの人が足を運ぶとき、その場から生み出されるのは生のイメージや死のイメージではなく、生と死をつなぎとめるようなイメージではないかと考えています。
 死を思うということは、決して残念なことでも悲しいことでもありません。死を思うことによって、何で今自分が生きているのか、何で私はここにいるのだろうか、これらのことを、もういっぺん考えるきっかけを得ることができます。こうして死を思うということが訓練、鍛錬されていくと、みんな強くなれます。くじけません。がんばれます。
 芸術とか演劇を長くやってきた人と話をするときに思うことがあります。それは結局、アートをやっている人たちは、表現活動を通じてそういう訓練を自ら課しておられるのではないか、ということです。もちろん、一生演劇をやり続ける人もいれば、いずれ演劇から離れて演劇ではない人生を選ぶ人もいるかもしれません。しかし、劇団で活動を積み上げていくと、それぞれの心の中に芯として残る何かがあるでしょう。それはくじけない、がんばれる、そういう力をみんなで出し合っているからではないかと思います。学校の先生、教科書、そういうものから得られる学びとは異なるものから、魂をつかもうとしている、私は表現者たちの姿勢をそう捉えています。
 ぜひ、皆さんには伊藤くんの写真を見て、お墓を見て、たまには住職の話を聞いて、信仰を育てていただければと思います。そして、一緒に信仰を育てていきませんか。

2009年10月18日日曜日

10/17〜18 オリゴ党第27回公演「西には果てがないから」

 オリゴ党さんの第27回公演「西には果てがないから」を鑑賞させていただきました。1993年にカラビンカで旗揚げされ、應典院とは2001年の第15回公演『グレガリア』という作品で初めてご縁をいただきました。その後、2008年の第25回公演『カーゴ・カルト』、そして、この2月28日・3月1日の第26回公演『主人公は死んでる』に続いてのご利用です。聞いた話ですが、こうして連続してご利用いただいているのも、應典院がバリアフリー仕様となっているため、とのことです。実際、今回のお芝居にも出演されていましたが、オリゴ党には、車いすをお使いの劇団員(役者)さんがいらっしゃるためです。
 18年の歴史のあるオリゴ党さんが今回モチーフにされたのは西遊記でした。公演後、作・演出の岩橋さんに「仏教寺院での公演なので、西遊記だったのでしょうか?」と尋ねてみたところ、特にそういうわけではなかったようです。後付けで、お寺で、天竺に向かう話、となったとのこと。確かに、話の内容も、西遊記を直接展開しているというよりは、上述のとおり、日々の日常の生きづらさを、虚構の世界の人物像をオーバーラップさせることによって浮き彫りにするために、西遊記をモチーフにした、と捉えてよいのだと感じています。事実、本編の中でも、「別に西遊記でなくても、桃太郎でも」など、旅に出る物語、また冒険にまつわるエピソードなら何でもよい、という台詞が出てきたとおりに、それぞれに役割があり、そして目的地へと向かうものであれば、本作が取り扱った「生きる」ことの意味をいかに見出すかというテーマに接近できたでしょう。
 コミュニケーションということばが意思疎通というように理解され、物事をわかりやすく伝達することが評価され、いかに人と差し障りなく関わることがよしとされる、そんな時代です。老いること、病に伏せること、死ぬこと、こうしたことが苦しみであることは間違いありません。しかし、2008年6月の秋葉原事件が、やや遠い記憶になりつつあるようにも思うのですが、改めて生きることそのものが苦しみである、それを実感させられる時代が現代ではないでしょうか。例えば、Amazonで和書を検索してみると、この1〜2年のあいだに、「生きづらさ」ということばを掲げた本が、相次いで出版されています。
 本当の自分が、ここではないどこかに行けば見つかる、そんな風に、今「自分探しの旅」に出る人々も多いと言います。また、本作の「オガワ」研究員が追究したように、出来もしないかもしれないが、「新たなコミュニケーションツール」を求めて自らの世界にこもる人も多いように思います。先に掲げた「生きる苦しみ」は、いわゆる「四苦八苦」のうちの「四苦」の一つなのですが、これに愛別離苦(あいべつりく:愛する人と離れることの苦)、怨憎会苦(おんぞうえく:怨み憎んでいる人に出会うことの苦)、求不得苦(ぐふとくく;求めるものが得られないことの苦)、五蘊盛苦(ごうんじょうく:色々な物質、自らが感受するもの、想起すること、意思を実行すること、世界を認識すること、それら5つにあらわされるような事柄が盛んに湧き上がることの苦)が加わると八苦となります。西遊記をモチーフにしたのは應典院だからではなく、「また次回公演などで(お寺でするということを)意識してみましょうか」と岩橋さんは仰っていましたが、個人的には実に仏教的な観点からも、感じ入るお芝居であったことを記させていただきました。

2009年10月8日木曜日

釈徹宗先生の仏典講座第二弾、本日開講!


 最早、應典院にご縁のある方にはおなじみとなりました釈徹宗先生。2007年の秋に開講させていただきました仏典講座の第二弾を、本日より開講させていただきました。前回は原始仏典の一つ、ダンマパダを読み解いていきましたが、今回は大乗仏典を読み解いていくという趣向です。名付けて、「大乗仏典を読む」。
 本日は、9月13日に実施いたしました、「寺子屋トーク第56回」にもご参加いただいた方々も多かったようです。末木先生との対談を軽妙に進められたことに、新たなファンも寄せたようにも思われ、当初予定していた應典院の研修室Bには入りきらず、急遽、大蓮寺の大広間で開催させていただくことにいたしました。開講一番、釈先生は、末木先生との対談の感想に触れられ、会場は談笑に包まれました。個人的には、末木先生が「ファイティングポーズ」を取らない姿勢に驚いた、と仰る、釈先生の率直な印象に興味を抱きました。
 今回の仏典講座は3回連続で展開されます。今回は大乗仏典を読み解く上で鍵となる、「空」と「唯識」について取り上げる予定でした。が、空について丁寧に取り上げたために、唯識についての仏典を紐解くことができませんでした。それでも、絶対的なもの、また常なるものはない、ということを、お湯の温度の話などを比喩に用いて、わかりやすく説いていただきました。
 大乗仏教の重要なところは、社会性や関係性を大切にするところ、というのがまとめのことばでした。聞く、読むことをことさら取り上げるのが大乗仏教とのことです。そうした観点も重なって、最後は全員で「回向文(えこうもん)」を読み上げて終わりました。実際、この回向文の日本語訳は、4月25日・26日に「ちべっと寺子屋ふぉーらむ」に来られたニチャンリンポチェ(ニンマ派)も「よい訳だ」と評されているとのことです。

「願わくば此の功徳を以って普く一歳に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」

2009年9月28日月曜日

いくつもの構造の相似形を見る:May「ボクサー」を観劇して

 「この作品は相当の覚悟でつくりました」。May Frontview Vol.25「ボクサー」の千秋楽、作・演出の金哲義さんはカーテンコールの挨拶をそのことばで切り出した。第二幕のラストが、倉庫を改装した工場の片隅に吊されたサンドバックにもたれかかり、兄の息子の早すぎる死を悼みながら、肩を振るわせるシーンだっただけに、そのことばに重みを感じた。第1幕が約2時間、第2幕が40分程という長い作品を通じて訴えたのは、時代に翻弄されてきた韓国・朝鮮籍の生き様である。とはいえ、そのメッセージはこの作品にのみ特徴的なのではなく、昨年の應典院舞台芸術祭「space×drama」の参加公演「チャンソ」も、ひいてはMayの活動全般において、作者や役者らが一貫して向き合っているテーマである。
 今回、済州島出身の兄弟を、まずは、ふくだひと美さんと木場夕子さんが、最終的には木下聖浩さんと金哲義さんが演じた。祖父母の時代、父母の時代、そして自らの時代と、時間軸が流れていくが、それぞれの家族を構成する役者ユニットがその変化にきちんと呼応しているところに、この作品の、またMayの芝居のメッセージ性が引き立てられていたように思う。つまり、それぞれの役者が親世代と子世代の二役を引き受けることで、個人的な出会いと社会的な構造の変容が、血縁という絶対的な関係の質を変化させていく必然性を見事に訴求することに成功しているのだ。変に難しい言い方になってしまったが、ともあれ、物理的な距離と精神的な距離の両面が、複線としての改装シーンではなく、人生を通じて引き受けていく個人の、家族の、そして民族の記憶への想起を促した。
 また、巧妙なキャスティングに加えて、韻を踏んだセリフがまた、物語のメリハリを生み出していた。正確な表現ではないが、「人間は生きて思想を作り出していくのに、生み出されてきた思想にしばられて生きる」、「ここに希望があるか、祖国に希望があるか、ふるさとに希望があるか、ではなく、自分の中に希望があるかどうかだ」などの言い回しが、随所に埋め込まれていたのである。さらに言えば、タイトルになぞらえられた、サイモンとガーファンクルの「ボクサー」が各所で流れるのだが、改めて歌詞に着目してみると、その歌い出し「I am just a poor boy…」からして、本作の世界観が通底した楽曲なのだ。このように、作品内はもとより、また作品内のいくつかの要素とのあいだで、いくつもの構造の相似形が埋め込まれいることを実感いただくには、公演中に収録されていたDVDを手に入れていただく他はないのかもしれない。
 余韻に浸りながら地下鉄谷町九丁目駅まで歩くと、そこには列車の到着を気にも止めていないかのごとくに、改札口とホームのあいだで、友人との会話に夢中になる高校生のグループを目にした。椅子に座るでもなく、楽しく話を続ける彼女たちを横目に、急ぎ足で列車の運行状況を案内する表示に走った私は、扉が閉まった後、改めてせわしなく移動を求めている自分に気づいた。電車を乗り過ごしても、今、そこにいる仲間たちとの時間を大切にする。あまりに芝居のメッセージが強烈だったためか、その場面を見たとき、木場さんと金さんが演じた主役の成宗が、絶望的な今を正視しつつ未来への希望を信じつつ、過去や他者を背負うことで現在の苦しみに浸っている、などと考え込んでしまった。

2009年9月17日木曜日

ザ・おおさか編集長、南野佳代子さんご逝去。

 まるで、おくやみの情報をお届けするブログのようになってしまっていますが、訃報です。應典院の催しはもとより、私たちが取り組んでいる「上町台地からまちを考える会」の催し等「ザ・おおさか」で紹介くださった、「ザ・淀川」の編集長、南野佳代子さんが15日に逝去されました。先ほど、考える会のオブザーバーの森さん(天王寺区役所)より、應典院にお電話を頂戴しました。謹んで哀悼の意を表します。
 私、主幹の山口よりも、秋田光彦住職が長きにわたり懇意にさせていただいておりました。明るいお人柄で、よく、掲載誌はもとより、最新号を應典院にお持ちになられました。「近くまで来たから」と、仰いながら、1階「交流広場」にて配布させていただいているチラシを、にこやかな表情の中、鋭い目で選んでいらっしゃったように思えます。新聞には「多臓器不全」とありました。聞けば、まわりにはこれまで伏せられていたとのことですが、癌を患っていらっしゃったようです。
 改めて考えると、「ザ・淀川」から生まれた「ザ・おおさか」は、「いやあ、英語の発音ではジ・おおさか、のはず」などという笑い話が通じるくらい、多くの方に浸透したコミュニティ誌でした。ふりかえると、刊行される組織名を「コミュニティー企画」とされていたことにも、南野さんの意欲を見て取ることができます。最近では「タウン誌」ということばを聞かなくなってきていますが、地域という意味でのコミュニティーと、読者のコミュニティーを丁寧に重ねていく作業は、インターネット隆盛の今の時代に、今一度学ばねばならない取り組みなのではないか、と感じております。稿を改めますが、先般の寺子屋トークでは80年代以降に葬式仏教と揶揄されてきた日本仏教における檀家制度の崩壊が始まった、という指摘をいただいたのですが、この議論に重ねて見れば、タウン誌の動きは生活環境の変化に対する、一つの揺り戻しや問題提起をしていた、とも考えられます。
 淀川区の北大阪祭典にて、本日19:00〜お通夜、葬儀・告別式が11:00〜12:30とのことです。明日は都合をつけることが難しく、本日のお通夜に参列させていただきます。「いのちと出会う会」の開催中ではあるのですが……。應典院の11面観音像の横に置かせていただいてきた風景を思いを馳せつつ。

2009年9月11日金曜日

追悼:竹内敏晴先生

 ブログの移転と再会のご挨拶を、このようなきっかけで行わせていただくことに、複雑な気持ちを抱えながら綴っております。思えば應典院のブログは、私、應典院の二代目主幹の山口洋典が着任した年に開設いたしました。その後、体制の変化や、スパムコメントの増加等を、一つの「エクスキューズ」にして、更新が停止してしまっておりました。今一度、今日の日のことを思い起こし、よりよい未来を創造していく契機とさせていただくべく、ここに再開させていただきます。
 標記に記し、また以下に掲げさせていただきますとおり、長らく應典院でお世話になりました竹内敏晴先生が、膀胱癌により亡くなられました。本日、急遽本堂で供養の法要をさせていただきました。以下に記しますのは、秋田光彦住職がその後に述べられた言葉です。テープ起こしの文責は山口にありますが、今後、微細な表現を変更させていただく可能性があります。ともあれ、謹んで哀悼の意を捧げさせていただくべく、ここに掲載させていただきます。

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 お聞き及びかと思いますけれども、長い間当山で「からだとことばのレッスン」を主宰していただきました竹内敏晴先生がご逝去されました。謹んで弔意を表したいと思います。
 ちょうど今年で竹内先生のレッスンが始まって十年目。実に変わらず矍鑠とした姿で、お目にかかる度に私に対して合掌をしていただくという、大変信仰のあつい先生でいらっしゃいました。何度か食事をご一緒したときにも、「秋田さん、法然上人のことをきちんと教えてくれ」と大家に言われて、それにきちんと応えられない自分がもどかしいまま、還らぬ人となられました。
 竹内先生の業績は皆さん知っているかと思いますが、恐らく今、平田(オリザ)さんあたりが、身体とかコミュニケーションと仰っているその源流、あるいは斎藤孝さんが身体とかことばとかと仰っているその源流、今、先端と言われているそういった取り組みの元を辿れば、皆、竹内敏晴さんに行き当たります。
 戦前は、いわゆる新劇運動、それは左翼運動になりましたけれども、もっとも、演劇が良くも悪くも社会的な、リベラルな政治と密接に関わりあった時代に、あるいは宮城教育大学、南山大学といった大学で、いわゆる身体教育としての演劇の研究に打ち込まれました。引退後は、全国各地の不登校やいじめや吃音といった、目には見えない障害を抱えた若者たちのために、何よりも苦境にある教師のために、日本の先生のために、身体との対話というメッセージを、演劇を通して伝えていただいた先生でした。
 應典院では3年目に、(日本吃音臨床研究会の)伊藤先生からご紹介をいただいて教室が始まったんですが、私にとって、なぜ應典院が演劇などかということを開眼させられたのも、実は竹内先生との出会いであります。先生の本は数多く読ませていただいてきましたが、その中でも「場所を支える」ということはどういうことかということを書き上げられた一節が、いつも頭に植えついています。「場所を支えると言うことは表現を持ち上げることでもない。まず、その人が、いったい自分は何を表現をしたいのだろうか、ということを気づかせるために場所がある。そして同時に、何を表現してもよい。あれはいい、これはいい、という規制が始まったら、それは表現の場所ではない」と仰るのです。何を表現をしてもよいのだ、という大きな承認の中でこそ、人は表現者として第一歩を踏み出す。こういった、文字通り寛容に富んだ、場所の懐の深さや広さ、そのことと、恐らく「法然上人は心の広いかたですなぁ」と竹内先生が仰っていた言葉は、どこかで重なるんだというふうに、私は考えさせていただいております。
 9月13日は、末木先生と釈先生の対談に満場のお客様を迎えますが、たまたまのことではありますが、私にとっても、皆さんにとっても、追善の思い、つまり善いことを追うために、寺子屋トークを成功させて、先生の霊前にお供えしたいと思います。ちなみに、既に密葬は終わられまして、一切公的な葬儀はなさらないとのことです。11月27日でしたか、お別れの会というものを名古屋で開催するとのことですが、伊藤先生にお聞きしましたら、自分は参加できない、とのことです。特に要請はございませんでしたが、何らかのかたちで弔意は表したいと思います。それと、伊藤先生からの伝言ですが、レッスンの会場はすべてキャンセルと聞いています。それでは最後に、もう一度、竹内先生の霊前にお十念を申しあげて終わりにしたいと思います。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 

 

2009年1月22日木曜日

NHK中継+残りわずか。

みなさま。

突然のご報告ですが。



これからNHKテレビ(大阪放送局)の生中継が入ります。

小山田徹さんコーディネートの「減災のブリコラージュ」の風景を、です。



應典院の前の道路には中継車が置かれ、警備の方も立っておられます。

雨の中、なのですが。



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ということで、もし、タイミング良く、テレビを見ることができれば、どうぞ、2チャンネルにあわせてみてください。

インターネットの2chではございませんので、ご容赦くださいませ。

ともあれ、18:45くらいから、5分程度です。



ちなみに、本日と明日は19時30分から、LowPowersの公演、そしてチベット写真展は明日までです。

あと残りわずかなコモンズフェスタに、ぜひぜひ、お越し下さい。

最終日には小山田徹さんをはじめ、今回の企画に関わったゲストが多数来られてのクロージングトークもあります!





(山口洋典)

2009年1月18日日曜日

洞窟カフェ:Caver's Cafe

先般、このブログで予告させていただいた、洞窟探検家のみなさんによるCaver's Cafe、ただいま開催中です!

恐らく、19時くらいまで、いらっしゃっていただいています。

小山田徹さんをはじめ「隊長」さん、など、4名のチームが洞窟探検体験にいざなっていただけます。

先ほど、淡路島アートセンターからも、お二人、来られました!



どうぞ、應典院にお越し下さいませ〜



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追伸:私はこれから隕石少年トースターさんたちの演劇鑑賞と、アフタートーク出演です。



(山口洋典)

2009年1月14日水曜日

3日ぶり+詩の学校

 3日ぶりの更新となりました。いや、なってしまいました…。まるで、とんねるずの「細かすぎて伝わらない」ものまね選手権での、川平慈英さんの真似をする博多大吉・華丸の華丸さんのような書き出しで申し訳ありません。というか、この表現こそが、細かすぎて伝わらないかもしれません。

 ともあれ、コモンズフェスタの一つ目の波が過ぎました。一つ目の波は、9日のオープニングトーク、10日の小山田さんのトーク、11日のタミヤリョウコさんのワークショップ、そして9日から12日までのremoの皆さんの協力による映像上映、それらを指しています。きちんとそれらの報告などもさせていただきたかったのですが、應典院主幹、應典院寺町倶楽部事務局長の山口の体調が崩れてしまいました。ともあれ、だいぶ復調いたしましたので、ご安心かつご期待くださいませ。

 そんななか、今日から2つめの波がやってきました。今日14日は上田假奈代さんによる詩の学校震災スペシャル、明日15日は大蓮寺での三帰会の皆さんによる「防災てらまちトーク」、そして16日からは隕石少年トースターの皆さんによる防災演劇が始まります。ぜひぜひ、第二の波にも、ご期待いただければ、と思います。隕石少年トースターのチケットは、売り切れが出ている回もあるようなので、お早めにチェックくださいませ。

 ちなみに、今日の詩の学校、私自身も楽しませていただきました。應典院で働き始めてまもなく3年となるのですが、実は詩作をちゃんとするのは初めてでした。毎月一回開催されている詩の学校の「特別編」として、開会前には、秋田光彦大蓮寺住職によるミニ法話がが催されるという趣向つきでした。新潟県中越地震の際に土砂崩れの中から2歳の皆川優太くんを助けたレスキュー隊の「呼びかけ」のことに触れられ、釈迦が説いたとされる「比丘たちよ、いざ遊行せよ。多くの人の利益と幸福のために。世間を憐れみ、人天の利益と幸福と安楽のために。」という『サンユッタ・ニカーヤ』の仏典が紹介されました。

(山口洋典)



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2009年1月11日日曜日

コミュニケーションの回路を考える

 コモンズフェスタも3日目となりました。それでも、あと2週間続きます。今思えば2006年度は1ヶ月間でしたから、それに比べれば短いかもしれません。それでも、集中力、緊張感を保つことができるよう、留意して参ります。

20090111-1.jpg 3日目のコモンズフェスタ、本日の目玉はライターのタミヤリョウコさんによるコミュニケーションに関するワークショップでした。いわゆる民間療法によるマッサージと感想交流を行うワークショップが行われ、合計で7名に参加をいただきました。これも、いざというときに、他者にきちんと向き合えるかどうかを考えて欲しい、という意図が込められていました。しかし、感想交流の際には、そうした意図を超えて、日々の生活でどんな暮らしを送っていくのがいいのかを考えた、と仰る方がいらっしゃったのが印象的でした。

 午後の時間にワークショップが行われましたが、その前の時間には「超日常の風景から」の撮影を手伝っていただいた東京在住の学生さんたちが来られました。実際に撮影した映像が、どんな風に再現されているかを見たい、という思いからやってきてくれました。実にありがたいことです。そんな展示もあと1日ですので、ぜひとも、多くの方にお越しいただければ、と願っております。

 明日は特別なイベントは行われませんが、上記のとおり、「超日常の風景から」の展示が最終日となります。また、研修室では、16日から始まる隕石少年トースターの稽古が行われます。ある意味、「やや日常」のコモンズフェスタにお越しいただくのもよいでしょう。ちなみに、今日もまた、皆さまから「ブリコラージュアイデア」が寄せられまして、窓際に吊られたアイデアメモが、さらに目立つようになってきました。



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(山口洋典)

2009年1月10日土曜日

アイデア続々、「減災のブリコラージュ」トーク開催。

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2009年1月9日金曜日

初日、無事終了>コモンズフェスタ

 さて、いよいよコモンズフェスタ2008/2009が始まりました。初日は慌ただしい幕開けとなりました。一番の慌ただしさは、昨日仕込み完了予定の、remoによる映像展示の機材がトラブルに見舞われてしまっていたためでした。レンタル機材であったため、昨日のうちに代替機の調達はできていたものの、結果として当日仕込みとなってしまったのです。

 今回の映像展示、難儀をしたのは「ハイビジョン映像」であったという点です。地上波デジタルテレビがこれだけ普及しているものの、まだまだ、撮影、編集、上映の環境は整っていません。HDMI形式の出力を適切に行うには、ハイビジョン企画の複数の中でもどの解像度か、など、プロでも頭を悩ますこととなりました。ともあれ、なんとか10時の開会には間に合い、事なきを得ました。

20090109c-2.jpg たった4日の間しかご覧いただけないハイビジョン映像上映ではありますが、初日から多くの方にお楽しみいただくことができました。と言うのも、毎日新聞の取材、恒例のプレイセラピー教室、また2月からの「減災キャラバン」の記者発表、そして、後述します同志社大学の公開講義などで、多くの方々が應典院に集ったためです。そのため、美術家、小山田徹さんによる「減災のブリコラージュ」でのアイデアシートも、初日から8枚が集まることとなりました。今後、どんな風にアイデアが増殖していくか、楽しみです。

 初日の最後は、應典院の山口が同志社大学の山口の顔でコーディネートさせていただいた「アートマネジメントの理論と実践」のレクチャーで終えました。まず本日の趣旨の説明させていただいた上で、コモンズフェスタのプロデューサーとして、全館を歩き回って作品の解説を行いました。その後は、研修室Aに戻って、劇創ト社の主宰(としての)城田邦生「先生」に、関西の小演劇界全般に触れながら舞台芸術のアートマネジメントについて深めました。終了後は、近くの韓国料理店に集ったという初日ですが、二日目となる明日の目玉は、岩淵拓郎さんのブログでも紹介いただいているとおり、小山田徹さんによるトークであることは言うまでもありません!



(山口洋典)



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2009年1月8日木曜日

コモンズフェスタ、2009開幕!

20090109-1.jpg 久方ぶりの更新です。というか、既に應典院ブログは死んだ、と捉えていただいていることと思います。むしろ、私たちスタッフが自らの手で殺した、とも言えるかも知れません。しかし、この度、改めていのちを吹き込むことを(勝手に)決意いたしました。と言うのも、明日から始まるコモンズフェスタが、メチャメチャ「おもろい」ことになる確信を持っているためです。

 明日から始まる、「コモンズフェスタ」は、1998年から開催されているアートとNPOの総合文化祭です。毎年、テーマを掲げて、テーマに即した各種の催しが展開されています。当初は実行委員会体制で、2000年からは外部プロデューサーの起用で、そして2006年からは事務局スタッフによって、企画運営がなされています。ちなみに、2004年度と2005年度は、事情があって休会いたしました。

 今年のテーマは「減災の身体性〜見慣れたものに、未知なるものを再発見する。」です。減災ということばはまだ聞き慣れない方も多いかもしれませんが、東海・東南海・南海地震に対する警鐘はもとより、昨年度からは上町断層の存在に対する指摘も積極的になされています。そこで、いつかくる「その日」あるいは「もしも」のために災いを防ぐ(防災)活動だけでなく、「今日」あるいは「いつも」のために災いを減らす(減災)活動の重要性について、11の企画から明らかにしたいと考えています。テーマにもあるように、見慣れたもの、聞き馴染みのあること、そうした日常の世界の中に、あえて未知なるものを探っていこうと、各種の仕掛けを用意させていただきました。

 ここで、明日の予告です。明日からは3つの展示が始まります。上の写真はそのうちの一つ、小山田徹さんのコーディネートによる「減災のブリコラージュ」の設営風景です。下の写真はremoの皆さんによる中越大地震の被災地(新潟県小千谷市塩谷地区)の映像上映プログラム「超日常な風景から」の設営風景です。果たして、應典院の空間が、アーティストによってどのように「未知化」されているのか、ぜひ、ご来場くださいませ!



(山口洋典)



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