2009年9月17日木曜日

ザ・おおさか編集長、南野佳代子さんご逝去。

 まるで、おくやみの情報をお届けするブログのようになってしまっていますが、訃報です。應典院の催しはもとより、私たちが取り組んでいる「上町台地からまちを考える会」の催し等「ザ・おおさか」で紹介くださった、「ザ・淀川」の編集長、南野佳代子さんが15日に逝去されました。先ほど、考える会のオブザーバーの森さん(天王寺区役所)より、應典院にお電話を頂戴しました。謹んで哀悼の意を表します。
 私、主幹の山口よりも、秋田光彦住職が長きにわたり懇意にさせていただいておりました。明るいお人柄で、よく、掲載誌はもとより、最新号を應典院にお持ちになられました。「近くまで来たから」と、仰いながら、1階「交流広場」にて配布させていただいているチラシを、にこやかな表情の中、鋭い目で選んでいらっしゃったように思えます。新聞には「多臓器不全」とありました。聞けば、まわりにはこれまで伏せられていたとのことですが、癌を患っていらっしゃったようです。
 改めて考えると、「ザ・淀川」から生まれた「ザ・おおさか」は、「いやあ、英語の発音ではジ・おおさか、のはず」などという笑い話が通じるくらい、多くの方に浸透したコミュニティ誌でした。ふりかえると、刊行される組織名を「コミュニティー企画」とされていたことにも、南野さんの意欲を見て取ることができます。最近では「タウン誌」ということばを聞かなくなってきていますが、地域という意味でのコミュニティーと、読者のコミュニティーを丁寧に重ねていく作業は、インターネット隆盛の今の時代に、今一度学ばねばならない取り組みなのではないか、と感じております。稿を改めますが、先般の寺子屋トークでは80年代以降に葬式仏教と揶揄されてきた日本仏教における檀家制度の崩壊が始まった、という指摘をいただいたのですが、この議論に重ねて見れば、タウン誌の動きは生活環境の変化に対する、一つの揺り戻しや問題提起をしていた、とも考えられます。
 淀川区の北大阪祭典にて、本日19:00〜お通夜、葬儀・告別式が11:00〜12:30とのことです。明日は都合をつけることが難しく、本日のお通夜に参列させていただきます。「いのちと出会う会」の開催中ではあるのですが……。應典院の11面観音像の横に置かせていただいてきた風景を思いを馳せつつ。

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