2010年1月17日日曜日

震災15年、追悼法要、秋田光彦住職法話。

南無阿弥陀仏。1月17日、應典院では例年どおり、「この日」に、物故者を追悼する場を持ちました。「あの日」から15年が過ぎた今年は、震災世代とも言えるアラウンド35の皆さんを招いた寺子屋トークを開催することにいたしましたので、その開会前に、一般の方を交えた法要を行いました。その法要の後の住職の法話の内容を、ぜひ多くの方に知って頂きたいと願い、携帯電話(iPhone)で録音したものを文字に起こし、住職の加筆修正の上、公開させていただきます。





 このお寺の住職で秋田と申します。今日はコモンズフェスタの2日目ということで、この時間にご参集をいただきましてありがとうございます。とりわけ今日、この日、1月17日の記憶は、皆さんそれぞれに胸に深く刻まれていると思います。
 もう15年も前のことになりますが、私も被災の現場で数多くの体験、数多くの出来事を目撃しました。例えば、それまで、お葬式でお坊さんが泣くというのを見たことがなかった。震災の中で、葬式を勤めながら導師が、真ん中に座っているお坊さんが、おいおい泣きじゃくりながら読経している姿を見たのは初めてでした。また、どちらかというと誰にでも偉そうにしていたお坊さんが、ダウンに着替えて、つるつる頭にタオルを巻いて、若い大学生たちと一緒になって、バケツリレーをしたり、炊き出しをしたり、お風呂の掃除をしたりしている姿を見たのも、恥ずかしながら初めてです。
 どこか超然とした、日常のステージとは違うところに居座っていそうなお坊さんたちが、まちの階段の下へ、ふもとへ降りてきて、そしてみんなと一緒に、汗をかきながら、泣きながら、あの現場を共体験していった。これは当時、まだ40歳手前の私にとっては、大変大きな体験であり、それがこの應典院の出発点にもなっています。
 もう一つ、非常に尊いものを現場で目撃しました。
 私はボランティアコーディネーターの真似事をやっていまして、当時は臨時的なボランティア拠点みたいなところがあちこちに点在していたんですが、ちょっと所用があって、芦屋の市役所に出向いたとき、驚くような光景に出合いました。ちょうど土曜日だったので、あちこちから集まってきた、いわゆる土日だけの中高年のボランティアたちが役所の中に鈴なりの列をなしていて、「この列は何ですか」と聞くと「それぞれがボランティアの仕事の振り分けで、コーディネーターから指示を受けているんだ」。その順番待ちの列が長蛇の列をなしていたんですね。
 きっと、これだけの人を動かしている人は大物で、ボランティアの偉いさんだろうと思って、その列の先頭に行くと、そこに立っていたのは19歳の若い女性でした。19歳のすっぴんの、こう言ったら失礼ですが、まだ学生顔の彼女が、自分の父親、母親ぐらいの年代の人たちに、とても誠実に、また相手の希望をよく聴いて、じつに的確にボランティアの指図をマネジメントしていたという現場を目撃しました。彼女の配下には、それこそちょっとつっぱり風の男の子たちもたくさんいて、芦屋の市役所を拠点に、エリア一帯に救援物資を運んでいる状況も見ました。
 それまで日本社会には、大人と子どもとか、メジャーとマイナーとか、まあ、ある意味では、私たちの社会にはある揺るぎない構図があったのですが、目の前にあったものは実に心地よく、その構図をひっくり返すような出来事でもありました。そこには、一つの願いを共にする、世代や立場やキャリアを超えた、人々の新しいつながりを見て取ることができた。それは私にとって鳥肌が立つような、新しい体験でもありました。当時19歳だった彼女は今、34歳。今、どこにいらっしゃるのか、何をされているのか、知りませんけれども、恐らく、その19歳の彼女の姿にダブらせて、何百人、いや何千人、何万人という19歳たちが、あの現場を駆け巡っていたことは、皆どこかでご記憶かと思います。
あれから日本の地域社会は音を立てて変わり始めた、と私は実感しています。それまで、教科書の中や地縁的なしがらみの中でしか感じ得なかった「地域」とか「コミュニティ」ということばが、まったく違う輝きを帯びて、私たちの前に立ち上がってきました。そして、地域に暮らすとか、コミュニティに生きるということへの出発点として、あの19歳の彼女が、まっすぐに手を挙げてくれたんだ、ということを、今、振り返ってみてつよく感じさせてもらっています。その頃すでに私は中年の域に達していましたが、何か「よーし、がんばらなあかんな」という気持ちと、「ああ、日本は変わっていくんだな」という、何か無性にこみ上げてくるものを感じて、その原体験が應典院という寺の原点になっています。
 もう、名前を忘れてしまいましたけれども、19歳のあなた、本当に、ありがとう。そして、芦屋のあなただけじゃなくって、ここにいらっしゃる方もそうかもしれませんが、あの頃、まだあんまり世の中がよくわかっていなかったと思いますが、なぜか現場をp駆け巡っているうちに、「ああ、ここが私が生きる現場なんだ」と確信して、そこで人生のチャンネルにピタっと来た人、たぶんここに何人かいると思いますが、皆さん、その後、がんばっていますか。あなた方のこれまでとこれからを、ささやかなことしかできませんが、應典院は「支える」、というよりも「一緒に居続けたい」と今も願っています。そして15年、また20年、30年経って、そのころ私がいるかどうかわかりませんが、お寺はあると思いますので、どうか應典院で巡り合った今日の日を、次への中継点にしながら、胸の中で末永く温めていただけたらな、というふうに思っています。
 正面にいらっしゃる仏さまは、浄土宗のご本尊、阿弥陀如来さまです。右に掲げた手は、よく励めよ、という意味、左にさしのべられた手は、よく抱けよ、という意味があります。どんなに傷つけられ、悲しみの淵に立たされても、私たちは誰かとのつながりの中で励むことができる、誰かを抱きしめることができる。そのシンボルとしての仏さまが、今、正面にいらっしゃいます。難しい信仰の話をするわけではないのですが、どうか私たちの記憶の中に、一つの意志としての、決意としてのお姿を、この阿弥陀さまに見てとりながら、今日のこの日を、改めて深く噛みしめていただけたら、ありがたく思います。
 今日は本当にありがとう。お帰りなさい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

フォロワー