2007年7月13日金曜日

住職です。

 地元のある高校の学校協議会委員を今年からおおせつかりました。「国公立大の進学」で有名な公立高校で、はじめて参加した委員会(有識者6名と学校教員)でも、話はほとんど「いかに合格率を高めるか」というお話に終始しました。その学校は「自由と創造」を校是とし、伝統的にリベラルな学風で知られる学校ですが、教員の意識は100%以上進学指導にあり、またそれを埋め合わせるごとく学業以外の時間を「クラブ活動漬け」とする、よくある二重構造を感じました。まぁ、親も含め学校への「期待」がそういうことなんでしょうし、教育に数値評価という「手ごたえ」も欲しいのはわかりますが、有識者といわれるような人まで、それに加担しているのには、少々がっかりでした。

教育の議論が国会から井戸端まで巻き起こっていますが、教育はただ学校や教師だけにゆだねられるものではありません。

 もちろん、子どもだけが教育の対象でもない。本当の教育国家とは、学校や教育委員会が羽振りをきかせる国ではなく、市民ひとりひとりが学びを通じて、成熟していく国づくり、地域づくりを言うと思います。ですから、教育という概念は教科書やカリキュラムに限定されるものではありません。應典院の高校生の演劇祭HPFがいかに「教育」に寄与しているか、あるいは寺子屋トークやエンディングセミナーなどがいかに「市民の学び」を育むことができているか、そこをスタッフも、また参加していただく市民も意識しておかなくてはなりません。私たちは、ちょっと知的なイベントをしているわけではないのです。

 その有名高校の教区目標は「次代の社会のリーダーを育成する」でした。では、私たち應典院の教育の目標は何か、教育を通してどういう人材や地域づくりを目指すのか。おこがましい感じもしますが、そういう未来への希望と構想なくして、教育は語れないと思います。

スタッフのブログ200回記念だそうで、少しお邪魔しました。

南無。

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