2007年1月17日水曜日

13回忌

 あの日、から12年です。1995年1月17日午前5時46分。その後に6434人のいのちが失われた、兵庫県南部地震から12年の今日、應典院も特別な一日を迎えました。やがて阪神・淡路大震災と言われたその地震は、多くの人たちの働き方、また生き方を変えました。

 毎朝8時45分から行われている朝のお勤めにも、普段は参加しないスタッフが参加しました。また、正午には梵鐘、つまり鐘を撞き、突然の災害で失われたいのちを悼みました。さらには、應典院1階の観音さまには供養の卒塔婆と焼香箱が据えられました。

 「あの日」に対してそれぞれに思いを馳せる一日で、最も印象的だったのは朝のお勤めの後で述べられた秋田住職のことばであったように思えます。それは、3つの観点でのお話でした。まず、突如としていのちを失う可能性があるという「悲しい」存在としての人間、また、燃えさかる炎のなかで自らのいのちを落としてまでも未来への希望を託すことができる「優しい」存在としての人間、そして、掛け替えのないいのちの大切さに向き合ってお互いの「真を高める」存在としての人間、その3点が充分に実感しうる機会となっていた、というものでした。途中、住職もご自身の震災ボランティア体験で、感極まってしまった瞬間もあったようです。

 供養をする、ということは「その人」に対して「私」が向き合う具体的な方法の一つです。焼香箱は明日、18日にまで設置しておきます。もちろん、應典院に来られる皆さんにはぜひ、ご焼香をお願いしたいところでありますが、何もご焼香に来ていただくことだけが、死者を悼む方法ではありません。ぜひ、「今ここ」のいのちに向き合うことと同様に、「あの日あのとき」の出来事に思いを馳せていただければ、と思います。



合掌 <主幹>

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